カジノ通いの始まり
その後、数年間にわたり、湯水のようにお金を使う日々を続けた。なかでも僕が特に熱を上げたのが、カジノだった。
きっかけは、またもや例の営業部長だった。
「社長、韓国に面白い遊びがありまして、ちょっと行ってみませんか? 自分は最近、週末を使ってちょこちょこ行くんですけど、絶対に儲かりますよ。もし負けたら自分が全額持ちますから、
20万ぐらい持って1回一緒に行きましょう」
いつもどおりの調子のよさに、ついつい僕も乗せられて、金曜日の夜にソウルに向けて飛び立った。このときを境にして、僕はバカラにすっかりはまってしまうのだった。
いわゆるビギナーズラックというものなのか、営業部長にルールを教えてもらいながらプレーしていると、あるタイミングで勝ちが連続し、瞬く間に10万円が転がり込んできた。一瞬で儲けるという点ではデイトレードと似ている部分があったが、カジノにはそれとは違った快感があった。プレーを始めて数時間もすると、僕はすっかりバカラの虜になっていた。
カジノにはまった僕を見て、営業部長はいつものように「だから、言ったでしょ」という表情をし、実に得意気だった。だが、引き際を計算しないところが、営業部長のいいところでもあり、悪いところでもあった。帰りの飛行機の中で、彼はこんなことを言うのだった。
「実はですね、社長。自分はバカラの必勝法を知っています。今度はそれを試してみませんか?」
ギャンブルに必勝法などはないと思っていたが、どうしたことか僕は営業部長の言うことを鵜呑みにしてしまった。そしてカジノ2回目となる次の旅行で、1000万円の資金を用意して出かけることを決めてしまうのだった。
営業部長の必勝法とは、よくよく聞いてみたら、掛け金を倍にして賭けていくという一番破産しやすい方法だった。トレーダーの間でも、マーチンゲール法としてよく知られているものだ。多くの勝ち額を求めれば求めるほど連敗のリスクも高くなる非常に危ない手法だったが、営業部長のカウンティングの手法は非常に説得力があったのだった。
ところが、現実はそう甘くなく、2回目のカジノ旅行で、僕は営業部長の言うとおりに掛け金を倍にして賭け続け、最終的に900万円を一晩で失ってしまうのだ。
普通なら相当あせる状況だが、肝が据わっているというのか、ただ単にイカれているというべきなのか、営業部長は状況をあまり深刻に受け止めていない様子だった。
「社長、ゆっくりゆっくりですよ。地道に取り返しましょう。ここからが本番ですよ」
所詮は他人の金だからなのだろう、こんな調子で実に落ち着いている。
「えっ、そういうもんなの?」
あまりの軽さに僕は聞き返した。だが、営業部長のお気楽さは筋金入りだった。
「はい、全然そういうもんです。まったく心配ありません」
「よし、じゃあ、ここから頑張るか。とりあえず今日は寝て、明日からしばらくは韓国に滞在になるね」
僕のほうもかなりイカれていて、彼の調子のよさにうまく踊らされ、どつぼにはまっていくのだった。
翌日、ホテルで目覚めたあと、僕らは再びカジノに向かった。資金は残りの100万円だ。営業部長も自分の小遣いを持ってきていたが、それほど大きい額ではなかったので、すでに使い果たしていた。
だが、彼は根っからのカジノ好きのようで、自分は全然賭けていないくせにバカラ台で繰り広げられる流れを見つめ続けていた。さらに、「社長、次はいいかもしれませんよ」と言ったり、「いやあ、ここは危ないですね」などとささやいたりしながら、あまり当てにならないアドバイスを送ってきた。
100万円からの再スタートは、勝ったり負けたりを繰り返し、結局1週間ぐらいですべてなくなった。これでやっと、僕たちは日本に帰らざるをえなくなった。
従業員の4割が韓国滞在!?
普通ならこの時点で正気に戻るのかもしれない。だが僕は、それまで以上にカジノにのめり込むことになる。
それからというもの、時間ができるとしょっちゅう韓国に行くようになった。
主戦場は、ソウルのセブンラックカジノだった。
最初は3泊の予定で行くのだが、負け越してくるとどうしても帰れなくなり、しまいには従業員に韓国まで現金を持ってこさせるほどだった。
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