バブル到来。グッチの国内年間買い上げ額(個人)第1位は、私です。

15歳で起業した著者が超富裕層になるまでの15年を振り返る『15歳で起業したぼくが社長になって学んだこと』特別掲載、第18回。会社は着々と拡大を続け、会社ごっこから本物の「会社」に成長。しかし正田さんは、会社経費でなんでも買える、すべてを手に入れるという欲望に絡め取られてしまいました。

第4章 バブルの到来

一晩で30万円

 予期せぬ形で人に騙されることになったが、SEO事業やホームページ制作事業は着々と拡大を続け、両方を合わせると年商2億円ほどの規模に成長していた。

 このころになると、社内に営業部門と管理部門が立ち上がり、一気に会社としての体制が整っていった。新たに営業部員を採用することにもなり、面接の方法などについても真剣に検討するようになった。例えば、面接のときにこれまでの仕事でもらった名刺の数を聞いて営業スキルを判断しようと考えたり、適性テストを導入したりしていたのもこのころだ。

 さらに採用後は、営業マンの教育課程として、取引先との商談にICレコーダーを持参させ、そこで話し合われた内容の書き起こしも行っていた。それを基に「こう聞かれたときには、別の答え方をしたほうがよかったのではないか」とか、「最初にもっとわかりやすく説明をすれば、その後の商談もスムーズに進めることができたのでは」といったアドバイスを与え、営業のスキルアップを図るようにしていった。

 日報の書き方にも独自の方法を採り入れた。僕が考えたのは、メールによる日報の作成だった。社員たちが日報を書く場合は、すべて青字を使ってもらうようにした。それを受け取った僕は赤字でコメントを追加して返信するか、もしくは社員が青字で書いた文章を黒字に戻し、「確認済み」として保管して、進行しているタスク漏れを防ぐというスタイルを導入した。仕事で使う手帳に関しても、全従業員共通のものとし、会社で一括購入するようにして、スケジュール管理のやり方も統一するように決めた。

 加えて、社内の業務の進め方にもこだわりを見せ、部署によって使用する付箋の色を分けるようにした。例えば、経理が書類に付箋を貼る場合には緑色だけとし、僕が使うのは青、もしくは急いで処理しなくてはならない書類には赤を使うといった具合に、誰が見てもどういう性質の書類なのかが一目でわかるようにルールを整備していったのだ。

 まだまだ規模は小さかったが、会社も2度目の引越しを終え、組織としての形はだいぶ固まりつつあった。

 決算の時期が近づくと、税理士と打ち合わせをして決算書を作成した。銀行からも営業の電話がかかってくるようになった。それまでの“会社ごっこ”のような状態から抜け出し、いよいよ本物の「会社」がスタートしたような気分だった。

 堅調な売り上げをさらに伸ばすためにスタッフの増員も行った。アルバイトを含め、10人近くの従業員が常時働くようになったため、オフィスには賑やかな雰囲気が漂った。役員報酬を出せるだけの余裕もでき、僕も給料を毎月しっかりと受け取れるようになっていた。

 ビジネスがうまく回り始めたおかげで、毎月数百万円ものお金が銀行口座に振り込まれるようになった。さらに、会社の経費ということにすれば自腹を切らずにいくらでも遊べると都合のいいように解釈していたため、自然と金遣いが荒くなっていった。

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15歳で起業したぼくが社長になって学んだこと

正田圭

「僕は、どこにでもいるごく普通の子どもでした。両親はサラリーマンと専業主婦で、自分に特別な才能があったとも思えません」と語る著者、正田圭さん。そんな正田さんの「お金持ちになりたい!」という目覚めから、ついに超富裕層となった今日までの、...もっと読む

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