年利35%で融資を申し込む。こんな世間知らずでも、会社は大きくなっていく。

15歳で起業した著者が超富裕層になるまでの15年を振り返る『15歳で起業したぼくが社長になって学んだこと』特別掲載、第11回。新規採用した営業部長の活躍で、会社の業績はますます伸びて行きました。しかし、正田青年の会社経営に関する知識は、まだまだ発展途上。恥をかきながら強くなっていく、青年実業家です。

憂鬱な給料支払日

 こんな綱渡りのような日々を過ごしていたのだが、ある時期から少しずつ業績が伸び始め、ほんの少しだが余裕が出てくるようになる。

 そこで、さらなる業務拡大を目指して、テレアポを取るためのアルバイトを2人採用した。僕とSE(本人はSEではなくSEOアナリストだと言っていたが)、さらに営業部長とアルバイトの2人が揃うと、マンションの一室はだいぶ窮屈になってしまった。

 しかし、営業マンを雇ったことは大正解だった。彼がSEOの注文を途切れなく取ってきてくれたおかげで、どうにかビジネスとしての体裁が整ってきたのである。

 営業部長は営業だけではなく、他の会社との取引でも活躍した。当時の僕は、発注した商品はきちんと納品されるのが当たり前、仕事をして請求書を発行したらきちんと入金されるのが当たり前、と思って仕事をしていたのだが、僕の認識は甘かった。

 発注した成果物は、納期が守られなかったり、瑕疵があったりするものも多かったし、請求書を発行しても入金がない仕事もあった。僕は、このような予想もしていなかった「社会の洗礼」を受け、どのように対応してよいかわからず戸惑っていたのだ。

 営業部長が入社してからというもの、なるべく支払いは後払いにするとか、前金でもらうように交渉するなど、最低限の基本が身についてきたのだった。また、成果物に瑕疵があったらそれをきちんと指摘する習慣も身についてきた。それと同時に、他社に厳しくクオリティを追及するのならば、自分たちの会社自身にも厳しくなければ説得力を生まないことに気づき、社内でも仕事に対する取り組み方が厳格化していくことになる。そういう意味において、営業部長の入社は僕たちの会社に大きな正のスパイラルをもたらしたのだった。

 その一方で、所帯を大きくしたために月々の出費も多くなり、会社の財政状況は相変わらず不安定なままだった。給料日がやってくると、いつも僕は憂鬱になった。デザイナーの給料に加え、営業部長の給料30万円とテレアポのアルバイト代を支払う必要があったからだ。

 しっかりと事業計画を立て、銀行からお金を借りようとしたこともある。

 この当時、仮に信用金庫から融資を受けたとしても、利息は3%ほどでしかなかった。普通に銀行から操業融資を受けることができれば、1%ちょっとという程度だったはずだ。ところが、そのころの僕は利息のことなど一切わかっていなかった。そういう状態で知り合いに紹介された銀行に出掛けていき、恥をかいたこともある。

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15歳で起業したぼくが社長になって学んだこと

正田圭

「僕は、どこにでもいるごく普通の子どもでした。両親はサラリーマンと専業主婦で、自分に特別な才能があったとも思えません」と語る著者、正田圭さん。そんな正田さんの「お金持ちになりたい!」という目覚めから、ついに超富裕層となった今日までの、...もっと読む

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