2017年夏の暑い日、ベッドに寝転んで雲田はるこ『ばらの森にいた頃』を読みながら、不思議な感覚が衝き上げてきた。
「これは、夫に読ませたいボーイズラブだ」
すべてのBL漫画に対して感じることではない。というか、そんな感想を抱いたのは実質初めてだった。異性愛者の成人男子に、男同士のセックスを中心に据えた絵物語の良さを理解させるのは、なかなか難しい。しかも私の夫は漫画を読まない。BLを薦めようとすると身を躱して逃げようとする。夫婦で一緒に楽しむとなると、ブロマンスものがせいぜいだろうと諦めていた。しかし、これならいけるんじゃないか? そう思ったのだ。
「エロさ」と「間口の広さ」をあわせ持った作品
『ばらの森にいた頃』は、読み切り4編と番外編を収録した短編集である。「これならいける」と思った契機は、何よりもまず、単巻完結であること。じつは昨年、同じ作家の非BL作品『昭和元禄落語心中』を薦めたこともあるのだが、「えっ、10巻もあるの!?」と尻込みされてそれっきりになっていた。我々オタクには想像も及ばない衝撃の事実、漫画を読まない人間にとっては、全10巻は、長いらしい。マジか。
時代を区切り世代を超えて紡がれる雄大な長編『昭和元禄落語心中』とは対照的に、『ばら森』の収録短編はどれも大変テンポのよいストーリー展開で、それぞれの主人公となる男性二人にくっきりとスポットライトを当てている。出会い、惹かれ合い、性行為に至る男同士のうち、どちらが積極的にムラムラする側か、どちらが襲いかかられて応じる側か、「攻め」と「受け」との立場の違いが、素人目にもわかりやすいはずだ。
そして、男同士がひょんなことから一線を超えて肉体関係を結んでしまう、その場面を起承転結の「承」に置いたもの、「転」に置いたもの、「承」から「転」へと行為がエスカレートしていくもの、複数のパターンを一冊で堪能することができる。
私は今まで「初心者にお薦めしやすいBL」とは、性描写が直接的すぎない低刺激でマイルドな作品だと信じ込んでいた。しかし今はその考えを改めつつある。本作ほどショートストーリーとしての完成度が高く、かつセックスシーンが最大限に長く濃密に描かれたものを読めば、我が夫にも、BLの作劇において性行為が避け難く欠かせない必然であることが、きちんと伝わるだろう。まさに入門書として最適の一冊。異論は認める。
思い返せば、雲田はるこの過去作品が絶大な支持を受けてきたのは、ちょうど真逆の理由だった。窓越しに眺めていた想像とはキャラの違いすぎる男、すぐに気持ちを偽る妻子あるゲイ、性転換手術を断念した女装子、級友のセーラー服を着こなす鬼畜ドS男子、タチに挑戦するネコ、童貞と両刀使い……。万人が好感を抱く親しみやすい絵柄とは裏腹に、雲田作品のカップリングはいつもギンギンに尖っていて、披瀝されるフェティシズムも斬新。「ひとくちに男同士のセックスといっても、いろいろあるよね」と既成概念を覆される独創性こそが、玄人筋の漫画読みに高く評価されてきたのだ。
7年ぶりに刊行されたこのBL短編集は、斯界の最前線を独走し続け、変わらぬエロさで腐女子を歓喜させる一方、新たに「間口の広さ」をも獲得したコミックスと言えるだろう。「単純で短く、わかりやすくエロい話」の詰め合わせ。そんな短編集を面白く描くことこそ最も難しく、熟練の技なしには不可能であることは、言うまでもない。
夫に読ませたい、その理由
表題作「ばらの森にいた頃」は、数百年ぶりに人のかたちをして転生してきた最愛の恋人を慈しみ育てる吸血鬼の物語である。採れたての食材を使った手料理の後で寝床でたっぷり体液を吸い取る間に回想を挟む、流れるような展開が神がかっている。萩尾望都『ポーの一族』の冒頭を読んで「登場人物が多すぎる……」と投げ出した我が夫にも、これなら文句は言わせない。二人の「蜜月」は長くは続かないが、ラストシーンでちゃんとまた「再会」して、しっかりと抱き合う。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。