夜、いつものように「成果なし」を報告しに西東京署の玄関に戻った時、俺は後ろから不意に声をかけられた。「兄貴」
このごつい声は、と思って振り向くと案の定、江藤君が気をつけをしていた。
「お勤め、御苦労さんです」江藤君は最敬礼をした。「江藤蓮司っす」
「おう」いちいち名乗らなくてもいいのだが。「ヤクザじゃないんだから、その挨拶何とかならないか」
「すんません。う、ええと」江藤君は恐縮して頭を下げる。「……お、お控えなすって」
「そりゃ初対面の挨拶だ」そっちの方がはるかにヤクザだ。「で、どうした。何かあったのか」
俺の受け答えがヤクザっぽいからいけないのかな、などと考えながらも訊いてみる。
しかし江藤君は、いえ、などともじもじしている。「まあその、兄貴のお顔を拝見に」
「それだけかよ」
「すんません」
「そうなのですか?」
斜め後ろにいた海月が俺の横に並ぶと、江藤君はまた体を硬くした。「あ、姐さんも御一緒で」
「今晩は。御機嫌麗しゅう」わざとなのか、海月はそう言った。江藤君はその海月に対しても「お勤め御苦労さんです」と返した。
「ここに来たということは、何か、相談したいことがあるのですか?」
海月が小首をかしげてそう訊くと、江藤君はびしり、と直立不動になり、「いや、さすがは姐さんで」などともそもそ言った。
「実は、シュンのやつが、ちょっと騒いでまして」
「騒ぐ。何をですか?」
「その、姐さんに兄貴、最近ニュースになった事件の調べをしてらっしゃるので?」
そういうことを訊かれるとは思っていなかったので、俺は海月とちょっと顔を見あわせたが、とりあえず頷いた。「だったらどうした」
「いえ、それが。シュンのやつが、あいつ、未だにクスリ関係のサイト、見てまして」
「おい」
「いえ、滅相もありません」江藤君はぶるぶると首を振った。「もう、やってないっつってます。見てるだけだそうで」
俺は「本当か」と言おうとしたが、やめた。話の本題はそこではないようだ。「で、そのシュンが何かに遭ったか」
「さすが兄貴、お察しがいい。でも違うっす」
「なんだよ」
「いえ、ですが一応、ネットで一部話題なんで、兄貴にも、と」
「何だ?」
「いえ、兄貴のことですんで、とっくに御存じかもしれないんすけど」江藤君は携帯を出すと、何やらぽちぽちと操作し始めた。「ちょっとネットで、話題になってる奴が」
「その方は、どのように話題になっているのですか?」海月も気になったらしく、江藤君に歩み寄って携帯を覗こうとする。
「それが」江藤君は携帯を操作しながら、困ったように言い淀んだ。「合法なんすけど、ネットでヤク関係の、売ってる奴のサイトがありまして、シュンとかが前から見てたんすけど」
「ヤク関連……」
そうなれば警察の領域だ。無視はできないので、俺も海月の反対側から江藤君の携帯を見ようとした。外見上、西東京署の駐車場で大男二人と小柄な高校生が一つの携帯を覗き込んでいる、という変な構図になる。
「そいつが、ちょっと一部で話題なんす。その、青酸ガスの事件と関係あるんじゃないかって」江藤君は器用に携帯を操作しながら言う。「ちょうどその時期、そいつが変なこと書き込んでて」
「何?」思わず顔を上げ、江藤君を見る。
「いえ、ちょっとの間らしいんすけど」江藤君は顔を上げず、携帯を操作し続けている。「あっ、これっす」
俺と海月は同時に江藤君の携帯を覗こうとして頭をぶつけた。俺は下がったが海月は退かなかったので、仕方なく彼女の脇から画面を見る。
ジョーカーのサイト
闇の商人ジョーカーのサイトです。
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「……おい、何だよこのサイト」作りからしてかなりチープなサイトである。おそらく、特に知識のない個人が勝手にやっているのだろうということは分かる。「シュンってのは、こんなサイト見てんのか」
「すんません」なぜか江藤君が謝った。「ここの、これっす。別系統の商品ってとこ」
江藤君は太い指で器用に携帯を操作し、★印の内容を表示させた。
別系統の商品
消えて欲しい奴を消せるもの、売ります。自然死にしか見えない、殺されたという事が分からない薬ですので、犯罪になる恐れは有りません。依頼人の素性も不要です。ジョーカーは秘密保証(依頼人の事に興味は有りません)。
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「……お前ら、こんな馬鹿なサイトに関わってんのか」
「いえ、まさか」江藤君は冷静に否定した。「こんな奴、一部掲示板じゃ『ジョーカー様』って呼ばれて笑い者っすよ。ただ」
海月が画面を覗いたまま、静かにその一部を指さした。「この記述が気になるのですけど」
自然死にしか見えない、殺されたという事が分からない薬ですので、
「これは……」俺の脳裏に一瞬、中町小学校の時の海月の言葉が蘇った。青酸ガス中毒の死体には特徴的な兆候がなく、一見、自然死に見えます──
「いや」俺は首を振り、その想像を否定した。「考えすぎだろう。確かにこの書き方は……」