文章を追うだけで、おもしろければ最高
文学でこそ、できること。それを追求している格好の例となる一冊が刊行中だ。
話の中身を追うとしたら、こんなことになる。
風呂トイレ付きで家賃3万円の格安アパート「かたばみ荘」は、東京・西武池袋線の東長崎駅から徒歩5分のところにあった。
大学の先輩から部屋を譲り受けるかたちでここに住み始めた主人公をはじめ、失踪してしまう男やその幼馴染みなど、話者がどんどん転換しながら、かたばみ荘に薄く濃くかかわる人々のまわりに起こる出来事が綴られていく。
言ってしまえば西武池袋線の格安アパートとは、ずいぶん地味な舞台設定である。続々と登場する人たちも、いまどきの市井の人たちといった趣。ヒーローやヒロイン然とした人は、見当たらない。派手なエピソードも、そうそうない。
それなのに、現実の様子や、わたしたちが味わう感情の機微がそのまま写し取られていると、なぜか私たちはうれしくなる。
「そうそう、その感じ、よく知ってる!」
と声を上げそうになる。
文章を追うこと、それ自体がおもしろい!
読み手に、そう感じさせる力が、どのページにも満ちている。それって最高だ。
かたばみ荘は木造の二階建てで、一階と二階に二部屋ずつがあった。
私は群馬の高崎で育って、今も実家に両親がいる。両親はふたりとも中学校の教師で、職場でどんな教師だったかはよく知らないが、自分の子どもに対してはつまらないことしか言わない人たちだった。
困った人だね、と店主は言って、エプロンを外すと、冷蔵ケースからビールを持ってきて、自分のグラスと、俺のグラスと両方に注いだ。
(『高架線』より)
大して何も起こらないのに、気づけば夢中で文章を追っている。純粋に「読む楽しさ」を味わえるのが滝口さんの小説です。なぜそうした作品を書くのでしょう。
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