「やっかいだ!」と反応する、心の癖をほどく
前のおさらいになりますが、相手をお城の中に「入れる」か「入れない」かは、ひとえに私たちの心の作用に責任があります。
「入れない」ということにするためには、相手のことについて「やっかいだ!」と反応する癖をほどいて、気にしないことが役立つのです。気にしないことによってこそ、相手についての印象が薄くなり、印象が薄い人はこの心の中に入ってくることができないのですから。
そのためにも、自分語りや自慢話が始まったときは、その表面的な「嫌な感じ」に着目するのは止めて、彼らがなぜそうしたことをしてしまうのかを、よく観察してみるのです。
おおまかに見ただけでも、次のことくらいは分かるでしょう。
「なるほど、この人は私から承認されたくて必死なのだな。承認されないと苛々してしまうくらいに、心が飢えているんだ。しかも、それを自分でも気づいていないなんて、悲惨なことだなあ」と。
そのように見渡せていれば、気圧(けお)されて変に迎合する(これをすると後で疲れる!)こともありませんし、反発する必要もありません。相手と自分の二人ともを、どこか上空から眺めているような心持ちで、のんびりしていれば良いのです。
「相手の存在感」を格段にちっぽけにする方法
相手が、承認されても承認されても、また足りなくなって同じことを繰り返してしまう無意味さと不幸に思いを馳せてみるならば、同情心が生まれることもあり得ます。同情心をもって、話を聞いて差し上げて、必要に応じて合槌を打ったり、相手の仕事や存在を肯定するようにすると、相手がどうこう以前に、こちら側の心が安らいでいるのに気づかれることでしょう。
「嫌な人の承認欲求による、犠牲になっている私」という見え方をしていたときは、敵視するせいで相手の存在感が過剰に大きくされていました。
ところが、「承認欲求という麻薬におぼれ、泥沼にはまっている、かわいそうな人と、それを洞察している私」という見え方に変わったなら、相手の存在感は、格段に小っぽけになるのが、分かっていただけるでしょう。
ここまで小っぽけになったその人は、もはやお城に侵入する威力を持っていないので、ゆとりを持って対応することが叶うはずです。
歴史のことだの、ワインや食事のことだの、はたまた、現代社会の問題点だのについて、うんちくをたれ流してしゃべり続ける人もいるでしょう。
けれど、それについてもう、苛々する必要はありませんね。苛々する代わりに、「承認されたいのだなあ」と観察して、ゆとりを持って聞き流していれば良いのです。
また、今日の自分はどうだった、こうだった、と立て続けに自分語りを続けて、人の話を聞いていない人も、いるでしょう。その人に対応して自分も話そうとしたり、不調法な人だと不満を持ったりする代わりに、観察しましょう。そして半ば聞き流しつつ、相手の欠落感をケアしてあげる心地で、しばらく過ごすのです。
「承認」という麻薬に飢えたジャンキーに注意!
けれどもこうした、ケアをするという心持ちについては、一つ注意して欲しい点があります。