承認欲求は、口に出す人のほうがシンプルだった!?
今回、取り挙げてみたいと思う「やっかいな人」の類型は、承認欲求が強すぎるタイプの人です。
もちろん、誰しも承認欲求は持っているものですから、お互い様ではあるのです。
けれども、度を超えて「私を見て!」「私の話を聞いて!」「私の素晴らしさを分かって!」というアピールが過ぎるようなら、ちょっとうんざりさせられてしまいがちなものですね。
こうした人の特徴としては、話す内容の大部分が「自分がどうした、こうした」ということで占められていることが多いものです。そのせいで、何か有意義なことを一緒に考えたり成し遂げたりするための会話ではなくて、その人が「どうだった」「こうだった」という、非生産的な過去の話になりがちな気もしますね。
ささいなレベルでは、自分がどこへ旅行したとか、なかなか普通はできない体験をしたとか、そういう話が続くていどで、大して害はありません。これは「そうなんだー、すごいね」と聞いていてあげれば済むだけのことですから。
ところが、もう少しやっかいレベルが増してきますと、面倒になってきます。「自分はこんなに頑張っている」とか「自分はこんなにあなたのためにしてあげている」という思いによって、承認されたい、評価されたい、というふうに願うのです。
それを明からさまに口に出す人と、そうでない人がいると思いますが、実は前者のほうが単純なぶん、楽だと言えそうです。
つまり、「自分はあんなに苦労して、本当にあのときは大変だったなぁ」と言われたら、それは「労力ほどに承認してもらえていない」と翻訳して、よく感謝の気持ちを伝えればいいのです。「本当に助かりました、有難う」と。
承認されたい=評価されたいのに、それを口に出さない人の場合は、もっとやっかいです。なぜなら、プライドが高いので口には出せないのですが、充分に評価されていない不満を内側に溜めて、不機嫌になってしまいますから。
外から見ている限り、なぜ不機嫌なのかは大変、分かりづらいものですね。もしも、色々と労力を払ってもらっているのに、それに慣れて感謝するのを忘れているのに思い当たったなら、しみじみと「有り難う」と伝えるなら、そうした不機嫌さも緩和されるかもしれません。
人の視線に依存しているから、すぐにバランスを崩す
自慢話ばかりする人にしても、内側に溜め込んで不機嫌になる人にしても、どちらも共通して他人の視線に依存しています。他人が自分のことを「良いね」「優れているね」「あなたのおかげです」などと承認してくれないと、不安になってくるのです。
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