何を言っても聞く耳をもたない。「でも…」と否定
初回は、ひとまずやっかいな人の一例として、押しつけがましい人のことをサンプルにしながら、この心という「お城」を守るための方法を考察してみましょう。
押しつけがましい人は自己主張が強く、他人を自分と同じ意見にさせたがるものです。のみならず、他人の意見を否定して自己主張することで、自分の独自性や有力さを感じたいという欲求も併せ持っています。
その傾向があまりに強い場合、私たちが何を言っても必ずやそこに問題点を見つけ、「でも……」と否定されることになるでしょう。
たとえば、こんな具合に。
「今日は、暑いですね。」「でも、室内は冷房きいてるから涼しいでしょ」。
「あの店はおいしいよね」「でも、あっちの店のほうがもっとおいしいよ」。
「今日は、大変だったね、みんなよく頑張った!」「でも、もっと大変な人たちだっているんだから、この程度で大変とか言ってちゃだめだよ」——などなど。
こういった塩梅に、たとえ何を言っても否定して自説を展開されますと、何となく気分が悪くなるかもしれません。
ましてや、今挙げた程度の事例でしたら可愛らしいものですが、職場でどんな提案をしても「でも」と否定して、その人の意見を押しつけられるような状況は、かなり辛いかもしれませんね。
他人の考えを踏みつぶすメンタリティ
では、どうして彼らはこんなにも、他人の考えを踏みつぶしてまで強い自己主張をぶつけたがるのでしょうか? 私たちを憎んでいて、攻撃してやっつけたいと思っているのでしょうか?——いいえ、そのようなあからさまな悪意というわけでは、ないはずなのです。
そうではなくて、本人の自尊心が非常に脆弱なため、自分一人では、「自分は大丈夫」と安心できないのが原因です。「自分には何かが足りない」という落ち着きのなさが、潜在的にいつも心を脅かしています。
それを、自らの向上に向け変えられれば良いのですけれどもねぇ。残念ながら、手っ取りばやいのは、他人を否定して「自分のほうが上なんだぞ!」と暗示をかけるほうなのです。
もしくは、やたらと他人にアドバイス(たいていは見当外れな……)をしたがるというケースも見られますが、アドバイスを押しつけるのもまた、自分の立派さや上位さについて自己暗示をかけられるため、好まれがちなのだと思われます。
ですから、押しつけがましさは表面的な力強さに反して、その見た目上の力強さの割には精神の脆さを隠しているのだと、透視するよう習慣づけてみましょう。「自分は、本当は、立派なんだぞ!」と言い張っている、自信のない子どものようなものなのです。
彼らにとっての悲劇の内幕を、分析してみましょう。そうやって、無自覚的に偉そうな言動が癖になり、他人の言うこと為すことに「それじゃダメ」「おかしいでしょ」などと否定したり、頭ごなしに考えを押しつけたりする都度、一瞬だけ、「私は、立派(なはず)!」という快楽を感じは、いたします。
けれども、基本は欠落感と自信のなさなのです。つまり、欠落感と自信のなさという名前の広大な砂漠に、「私は立派だ!」という水滴を一粒、たらしたようなもの。
あいにく、そんな水滴はすぐに蒸発してしまいます。ですから即座にまた苛々してきますし、そして相変わらず、不寛容で非協調的な言動を繰り返してしまうでしょう。——そう、本人も、なぜこんなにもついつい偉そうにしてしまうのか、自分でもよく分からないままに、です。
「嫌で嫌でたまらない!」を晴らす、とっておきの方法は?
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