「私と相性のいい職業ってなんだろう……」
麻奈が思わずつぶやくと、ハナコは「見つけてみる?」と茶目っ気たっぷりに笑い、麻奈に「お休みの日は何しているの?」「何をしている時が楽しい?」「携帯にブックマークしているサイト見せてもらってもいい?」「ネットの閲覧履歴も見てもいい?」「最近何かお買い物した?」「宝物ってある?」「ねえ、そのヘアピンって自分でつくったの?」「その手提げはどこで買ったの?」などと大量に質問をしてきた。そうしてあっという間に、「麻奈ちゃんは、ハンドメイドの小物職人とかに向いているんじゃないかな」と提案してくれた。
「……! たしかに、生地屋さんに行って布とかボタンを見ていると、アクセサリーのデザインとかどんどんアイディアがわいてくるし、細かい作業は大好きです。でも、これはあくまで趣味の範囲で、仕事にするなんて考えたことがなかったです。小物のネット販売とかしている人いるけど、それだけで食べていくのは難しそうというか……」
なんだか心臓がバクバクする。私は少しワクワクしているのかもしれない、と思いながらも、麻奈が不安を口にすると、
「これは今の会社にいながらでもはじめられることだから、会社を辞めるかどうかを考えるのは食べていけそうになってからで間に合うよ! そんな一か八かみたいな、ロックな生き方をしなくても大丈夫だから安心して(笑)。それに会社勤めをしている方が他人に触れる機会は多いだろうから、それが刺激になってデザインとかアイディアはわきやすいかもしれないし」
ハナコはそう言って、ニッコリ笑った。
「そうしたら、今の会社を辞めないという前提で話をすすめよっか。相性の悪い作業を仕事に選ぶのであれば、必要なテンプレートを仕込むこと。自分の頭で考えないこと。
今日みたいに具体的なエピソードを持ってきてくれれば、私がそのことの要点を見つけて教えてあげることもできるから、社内では訊きづらいのであれば、しばらく私がレッスンすることもできるし。
自分で思いつくことにこだわる必要なんてないよ。教わればいいし、仕込めばいい。自分で思いついたことじゃなくたって、自分の未来を変えてくれる力を持っているんだよ」
ずっと、自分の頭で考えて生きていかなければいけないと思っていた。バカなりに、グズなりに、ノロマなりに、それでも自分の頭で考えて答えを出す努力をすることががんばって生きていくことなんだと、ずっとそう思っていた。
今の職場でうまくやっていこうと思ったら、自分の頭を使わないようにする……か。でも、ただでさえ出来が悪いのに、さらに手を抜くみたいで、何だか気が引けるような……。
そんなことを思いながらハナコの方を見ると、目が合った。まるでずっとこちらを見つめていたような目つきだった。
そしてハナコは「あのね、麻奈ちゃん」と真剣な顔で言い、それからニヤリと笑って言った。
「がんばればできる、なんて、ありえないからね! 人間、がんばってもできないことばっかりだから。
だってほら、がんばっても自力じゃ空飛べないでしょう? そのくらいの感じで、がんばってもできないことが、人にはそれぞれたくさんあるんだよ。でも、そんなの全然、仕方ないでしょ(笑)。がんばって空飛べよって言われても『いやいや、その機能が身体に備わっていませんから! 構造上、無理だからね!』って話じゃん。
何もかもが、そのくらいの感じなんだよ。できなくていいの、仕方ないの、そういう構造なの! 空を飛ぶ必要がある時は、飛行機に乗ればいいの。
できないことをやろうとがんばると周りに迷惑がかかるから! できないことは諦めて、とにかく実害を出さないように工夫することが、社会の歯車として生きていく人のエチケットでマナーだよ!
だからね、全然、引け目に感じなくていいんだよ。できないことをがんばらないことは誠意です」
「……はい!!」
肩の荷が下りたような気がした。すごく温かい手で、力強く背中を押されたような、そんな気がした。
「がんばってもできないことがあるって、何だか気が楽になりました」
「あるよー! ちなみに、がんばらなくてもできることが向いていること、つまり相性のいい職業だよ! 私、今の仕事についてからがんばったことないもん(笑)」
がんばってもできないことがある。それは可能性が狭まることであるはずなのに、なぜか、麻奈は視界が広がったような、目の前が開けたような、そんな感じがしていた。
ずっと、がんばることが大事なんだと、諦めないことが誠意なんだと思っていた。
「ハナコさん、私、今日ここに来て本当によかったです」
「えー、それはよかった! 嬉しい! この仕事をはじめた甲斐があったなーって思えるよー」
そう言って本当に嬉しそうに笑うハナコを見ながら、すでに私は少し変われたのかもしれない、と思った。人を喜ばせる言葉を声に出せるようになった。
今日ハナコにもらったテンプレート。それらを活用してつくっていく、ここからの未来。さらに、自分の相性のいい職業につく、という新しい選択肢も手に入れた。
麻奈はワクワクしていた。
*
ー1カ月後ー
ハナコが14時45分にドアを開けると、いつも通り、すべての準備を終えた佐藤が受付で読書をしていた。
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