「国民的なブーム」に膨らんでいく感じがしない
この連載で誰を取り上げるかは、毎週、編集者と相談して決めており、繰り返し保留となった人物については携帯のメモに残しておく。人物名だけを残しておくのだが、小雪についてのみ「小雪が放つ緊張感」とある。いつか「小雪が放つ緊張感」について書く日はやって来るのだろうか。そのメモの冒頭に長らく鎮座してきたのが米倉涼子である。毎週、そうやって鎮座している状態を確認するのに飽きたので、今回取り上げてみることにする(これによって新たな冒頭は益若つばさとなる)。現在、シーズン5に入った大ヒットドラマ『ドクターX』は、他の連続ドラマが突出した視聴率を稼げていない中にあって、独走状態にある。2話見ただけが、ストーリー展開がハラハラドキドキするし(こんな稚拙な感想があるだろうか)、大ヒットドラマの多くが持つ決め台詞「私、失敗しないので」もある。でも、どうしてだか、この高視聴率ドラマが「国民的なブーム」に膨らんでいく感じがしない。人はみな失敗するから、決め台詞が使いにくいのだろうか。
テレビの前の私たちは、多くの芸能人を見て、何がしかの特徴を引っ張り出して語る。その語り部からの意見が集約され、芸能人のイメージが生まれていく。昨今、石田ゆり子が獲得している高評価は一朝一夕に生まれたものではないけれど、『逃げ恥』以降、一気に積極的に語られることで、「石田ゆり子的なものを石田ゆり子が独占している」状態にある。珍奇な言い方かもしれないが「○○的なものを○○が独占している」という状態は、その芸能人の特性の有無を伝えるのに便利である。「矢沢永吉的なものを矢沢永吉が独占している」に異論は皆無だろう。「武田鉄矢的なものを武田鉄矢が独占している」に渋々うなずくだろう。「若狭勝的なものを若狭勝が独占している」と言われても、若狭勝的なものとは何か、を考える時間がひとまず必要で、また来週の会議で話すことにしないか、そもそも芸能人じゃないし、と次回に繰り越さなければならなくなる。
発言が押し並べて単調
米倉涼子はあれだけキャリアが長く、実積もあるというのに、「米倉涼子的なもの」として独占しているものがない気がする。よって、論点が浮かび上がらない。大手事務所が言動を慎重に管理している、という分析ほどつまらない分析もないが、そういうつまらない分析を投げて終わらせたくなる。彼女がテレビでインタビューに答えている場面や、雑誌や新聞に掲載される記事の類いにしばらく意識的に触れるようにしていたのだが、その発言が、押し並べて単調であることにいよいよ気付いてしまった。女優のコメントがつまらなくても構わないのだが、どこかで聞いたことがあるようなことを、いかにも珍しそうに言う。
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