第38回 ジョブズが去った後の「漢字Mac」の運命

かつてビジカルクという表計算ソフトが「アップル1」の出荷を大きく後押ししたように、ひとつのソフトウェアがコンピュータ本体の売り上げを大きく左右します。それらは「キラーソフト」とか「キラータイトル」と呼ばれています。アップルの代理店となったキヤノン販売は、そのキラーソフトとして、「漢字」が扱えるということが是が非でも必要でした。ジェームス比嘉がジョブズからの直命で進めていたその「漢字Mac」のプロジェクトの先行きが不透明になりつつありました。

登場人物たち

スティーブ・ジョブズ 言わずと知れた、アップルコンピューターの創業者。1976年に創業し、1980年に株式上場して2億ドルの資産を手にした。その後、自分がスカウトしたジョン・スカリーにアップルコンピューターを追放されるが、1996年にアップルに復帰。iMac, iPod, iPhone などの革新的プロダクトを発表しアップルを時価総額世界一の企業にする。

水島敏雄  東京で「ESDラボラトリー」という小さな会社を営む。マイコンの技術を応用し、分析、測定のための理化学機器の開発を行うために作った会社で、ESDという名称は、 Electronics Systems Development の頭文字をとっている。東レの研究員として働いていた時代から大型コンピュータや技術計算用のミニコンに通じており、マイクロコンピュータの動向には早くから注目していた。ESDは日本初のアップルコンピューターの代理店となる。

『スティーブズ』

曽田敦彦 構造不況の中、業績が芳しくない東レが、「脱繊維」を掲げ新分野として取り組んできたのが磁気素材の分野だった。ソニーのベータマックス用としてはさらに薄地で耐久性のあるテープ素材の開発が必要で、45歳になる曽田はこのプロジェクトの中心として部下に20名以上の研究員を従えている。地味で根気のいる仕事ではあったが、東レがハイテク新素材メーカーへステップアップする上でこのプロジェクトは重要な意味を持っていた。

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林檎の樹の下で -アップルコンピュータジャパン物語- ✕スティーブズ外伝

うめ(小沢高広・妹尾朝子) /斎藤 由多加

ふたりのスティーブ、ジョブズとウォズニアックが設立したアップルコンピューターは、1977年4月、サンフランシスコで開催されたウェストコーストコンピュータフェアに出展した。ジョブズがこだわりにこだわったベージュ色の本体の数が足りないので...もっと読む

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コメント

ima_mura_ よくこんな状況から日本語が当たり前の様にMacに搭載されて販売されるまでに至ったよなと思う。[link] 1年以上前 replyretweetfavorite