テレキネシスの使い方
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「スタ定のお客さん」
お待ちどおさまあ、という力の抜けた声が聞こえて、「三葉(みつば)食堂」のオバちゃんがカウンターに料理の載った皿を置いた。オバちゃん、と呼んではいるものの、すでにかなり腰の曲がったおばあちゃんだ。今村心司(しんじ)は、辺りを見回し、料理が自分の注文したものであることを確認する。
「ああ、俺、俺ら」
先輩社員の北島が、今村に向かって顎をしゃくった。老夫婦二人で切り盛りしているこの食堂では、出された料理は客が取りに行くことが暗黙のルールになっている。もちろん、動くのは後輩である今村の役目だ。
「なんだよ、スープこぼすなよ。お前ほんと、役に立たねえなあ」
二人がチョイスしたメニューは、三葉食堂一番の人気メニュー、「スタミナ肉炒め定食」だった。しっかりと脂身のついた豚の細切れを、大量のもやしとともに特製の味噌ダレで炒めた逸品で、だいたい七割くらいの客が注文する。いつもなら、今村も豚もやし炒めでモリモリと飯をかきこんでいるところだが、今日はどうにも箸が進まない。玉子スープを少しすするのがやっとだ。
「食わねえのかよ」
「いや、あの」
「もっとシャキッとしろよ。見ろ、モヤシの方がシャキシャキしてんだろうがよ。モヤシ以下か、お前は」
「いや、まあ」
「腹が減っては戦(いくさ)ができねえって言うだろ。食え食え」
今村は、はあ、と生返事をして下を向いた。シャキッとする元気など出るはずもない。午前中、客先を回っている最中に、今村のとんでもない失態が判明したのである。
今村と北島が勤める会社は、小さな事務機器屋だ。地元密着型のお手本のような会社で、客も地元企業なら、社員もほぼ全員が地元の人間だ。今村と同じ高校出身の社員も数名いて、北島もサッカー部時代の一コ上の先輩である。
会社は、事務機器販売と言いながら、お茶やコーヒーの手配、パソコンのセットアップから蛍光灯の交換まで、とにかくなんでも引き受けている。昨今の事務機器というのはどれを買っても性能が頭打ちで、他社とは値下げ競争にならざるを得ない。今村の会社も、「トータル・ファシリティ・サプライヤー」などと横文字を並べて格好つけてはいるが、本業の事務機器販売では大手に太刀打ちできないので、半ばクライアントの奴隷と化して食いつないでいるのが現状だ。
つまり、お客様は神様、を地で行く商売なのだが、その神様からの依頼ごとを、今村はうっかり一週間ほど放置してしまったのだ。当然のように神様はへそを曲げ、契約の解除を通告してきた。許されざる大失態である。
「だいたい、普通そんなの忘れるか? バカかよ」
バカ、と言われても言い返せない。なんて自分はバカなのだろう、と思うと、気が滅入(めい)った。
「なんかもう、死にたいです、ほんと」
もちろん、本当に命まで絶つ気はないが、生きているのが嫌になったのは間違いない。会社に帰れば、課長に呼び出されて完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめされるだろう。まだ若いイケイケの課長は、部下の失敗を絶対に許さない。恫喝、人格攻撃、細かい暴力は日常茶飯事だ。契約をトバしたなどと言ったら、どれほどの暴言を浴びせられるか、わかったものではない。
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