あなたは何のために警察官をしているのですか?出世するためですか?」

大量の毒ガスが発見され、危険が迫る東京。しかし犯人逮捕の報道がニュースに流れ、警察は判断を迫られるーー。
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10



「とにかく、本部に連絡入れないと。……警部、まだ電話してませんよね?」

 俺が訊くと海月も頷いた。二人ともサイローム発見の対応で安全確保に追われており、捜査本部への報告は後回しになっていたのだ。

 しかし俺が携帯を出すと、すでに誰かから着信があったらしく、ランプが点滅していた。駆け回っていたせいで気付かなかったのだろう。着信は麻生さんからだった。

 電話をかけると麻生さんはすぐに出たが、何か様子がおかしかった。電話口の向こうが妙にざわついている。「……設楽ですが、どうしたの?」

 ──ああ設楽くん。今、どこにいるの? 何やってたの。

 中町小学校だけど、と答えると、麻生さんは何か気の抜けた反応をした。──ああ。じゃ、やっぱり何も聞いてないんだね。

「何?」

 ──久保が落ちたの。こっちは祝杯ムードよ。捜索に出てる人はいるけど、残ってる人はもうビール開けてる。

 俺はそう言われてから数瞬、反応できなかった。周囲の空気が少しだけ、冷たくなったように感じた。

 ……久保が、「落ちた」。

 危惧していたことでもあった。取調担当官である双葉さんは硬軟いずれの手法においても被疑者を落とすのがうまい。ゆえに、本来シロである人間まで「落としてしまう」可能性は充分にあった。サイロームが出てきた以上久保はシロの可能性が大きい。だが、そのことを知らない捜査本部は久保の「自供」を信用して動くだろう。

 麻生さんの後ろのざわめきはそういうことらしい。そうなると、これから少し面倒になる。新証拠を提出すると同時に、久保の自供は虚偽である、という説明をしなければならない。

 ──それと、午後のニュースも知らないのね? 連続放火事件の犯人逮捕のニュース、流れたのよ。

「えっ……」

 ──上は流すつもりはなかったらしいけど、どこかから漏れたのよ。生田さんがうろうろしてたから、もしかしたらそこからテレビ関係者に流れたのかも。

 言葉が続かなくなった俺に対し、麻生さんはすらすらと続けた。

 ──まあ、とりあえず、あとは詰めね。まだ送検できる証拠は揃ってない。久保の供述を元にして物証出さないと。……そこ、海月警部もいるんでしょう。帰ってきたら? 居辛いかもしれないけど、私もどうせビール嫌いだから飲んでないし。

 何を言うべきかを迷った。大声で怒鳴りたくなる気持ちが膨れ上がるのを深く呼吸して抑え、俺は一言ずつ、区切りながら電話口に吹き込んだ。

「麻生さん、落ち着いて聞いてくれ。重大事件が発生した。そのうちそっちにも、情報が下りてくると思う」

 麻生さんは少し間をおいて反応した。一人だけ飲んでいないからか、彼女は冷静だった。──何かあったのね。そういえば、上の様子がなんとなく変。

「新証拠が出た」俺はゆっくりと言うように気を付けていた。声が上ずったりして、相手の動揺を誘いたくない。「犯人の目的は現場の地中に埋まった青酸ガス入りの農薬だ。犯人は放火の後、それを持ち出して逃げた。今、化学防護隊が出動して処理してる」

 ──ちょっと待って。何?

 隣の海月が車のキーを出し、俺の目の前で振ってみせた。俺はそちらに頷く。「すぐそっちに戻る。そこで説明する。飲んでる場合じゃないんだ」

 電話を切り、海月に状況を説明する。海月はすぐに理解したらしく、車に向かって駆け出した。俺も後を追う。

 厄介なことになった。

 毒ガス兵器を持った人間が都内をうろついているのだ。早いところその事実を報道し、犯人の動きを封じなければならない。だがニュースで、久保がすでに犯人だとして報道されてしまったということになると、誤報発信の責任はこちらも問われることになる。間違い自体は認めざるを得ない状況だが、上は訂正を渋るだろう。

「捜査本部に戻って事情を説明しましょう。一刻を争う」海月に追いつく。「でも、これでやっと本部の協力が得られる。人員を割いてもらえます。犯人の手がかりはありませんが、総力戦でなんとかするしかない」

 車のドアを開けたところで、それまで無言だった海月が呟いた。

「……そうなれば、まだいいのですけど」


 海月の言ったことはよく分からなかったが、俺は訊き返すより、川萩係長にどう説明するかを考えていた。海月に喋らせず俺が言うつもりだったが、俺たちの立場上、係長にはまず話を聞く態勢になってもらうところから始めなければならないのだ。

 西東京署の玄関には川萩係長が出てきていた。麻生さんから話を聞いたらしい。

「係長」

「設楽」係長は厳しい目で俺を見ていた。「麻生君の話だけじゃよく分からん。貴様らが何をどうしてこんな状況になったのか、詳しく説明しろ」

 俺と海月は係長に続き、早足で捜査本部隣の小会議室に移動した。

「ついさっき連絡があった。中町小学校でなんとかという毒ガスが出たらしいな。お前らが見つけたのか」係長の声は静かだったが、いつもにはない、はやった雰囲気が伝わってきた。椅子を引いただけで座ろうともしていない。「説明しろ。捜査本部こっちの事件とはどういう関係だ!」

 海月が珍しくすぐ口を開かず、考え込んでいる様子だったので、俺は前に出て、サイローム発見から処理までの経過を係長に話した。

 話し終えて小会議室が静かになると、係長の呼吸音がかすかに聞こえてきた。俺はそのまま待った。彼がどんな態度に出るのかは想像がつかなかった。

 係長は、ぐっ、と拳を握った。

「……見つけたことについてはよくやった。こっちに連絡が遅れたのも、やむを得ん。避難誘導が優先だからな」

 係長は腕を組んで頷いた。「今の話を聞いて、ようやく腑に落ちた。あの野郎、そういうことだったか」

 係長が何に思い当たったのか分からなかったが、俺はとにかく続けた。

「犯人の行方は分かりませんが、中町小学校の卒業生だと思われます。七年前から始めて、全員を……」

「取調を継続する」川萩係長は落ち着いた声で言った。「双葉さんはまだ飲まずに控えている。当たったな。久保の取調は再開だ」

「えっ」俺は、言われたことの意味がよく分からなかった。事件は全く別の様相を見せているのだ。もう久保どころではない。

「いえ、ですから係長、犯人は」

「久保の態度に不審な点があったと、双葉さんも言っていてな」係長は俺の声を押しのけて言った。「どうも何か、自白ゲロしてはいるが余裕がある、という感じだったそうだ。あの野郎、サイロームのことを隠すために放火アカだけは認める作戦で来ていたようだな」

「係長」

「よくやった」係長は俺の肩を叩いた。「あとはこっちに任せろ。久保を締め上げて、サイロームをどこに隠したのか吐かせれば完了だ」

 俺は声が出ず、一瞬、小会議室が静かになった。こち、こち、という壁掛け時計の針の音が聞こえてきた。

 俺は数秒して、ようやく係長が何を言っているかを理解した。

「ちょっと待ってください。久保はシロです。こっちが話した通り、中町小学校が目的だったって分かったじゃないですか」

「だから、そうだろう」係長の声が荒くなった。「つまり久保の本当の目的は、サイロームを掘り出すことだったんだろう。その点についてはお前たちの言っていた通りだった。よくやったと言ったじゃないか」

「そうじゃないんです」俺は慌てた。「ですから、俺の……いや海月警部の指摘通りだったんですから、久保は犯人じゃありません。これまで想定していた犯人像と全然違うって、はっきりしたじゃないですか」

「犯人は久保だ。奴が半落ち、、、だったんだ」係長はそう言って動き、俺の脇を抜けてドアを開けた。「取調室に双葉さんがいる。本部にも伝えないとな」

 だが係長は、なぜか俺に目を合わせなかった。

「係長、何を言ってるんですか」俺は振り返って叫んだ。「犯人は中町小学校の卒業生の誰かなんだ。早く捜さないと大変なことになる。人員を」

「犯人は久保だ。他に誰がいる」係長の声が大きくなった。「奴がサイロームをどこかに隠したんだ。それを吐かせれば終わりだ」

「違う! そんなわけないでしょう!」もどかしさと焦りで、俺ももう怒鳴るしかなかった。「久保はシロだ。どこかに真犯人ホンボシがいるんです。人を殺す目的を持って、大量のサイロームを隠し持ってる。早く報道して、警戒を促さなきゃ駄目です。そうすれば犯人側も、青酸ガスを使えなく……」

「そんな真似ができるか!」係長も怒鳴った。「こっちはもう久保をホシだとして逮捕したんだ。他に誰がいる? ろくな根拠もないのに釈放しろってのか」

「根拠は説明した通りです。それより、大急ぎで報道させないと犯人が先に動いちまう。何を悩んでるんです!」

本部こっちの面子はどうなる!」係長は拳で壁を叩いた。重い音が小会議室に響く。「もう報道されちまったんだ! 間違いでしたで済まされるか!」

「係長」俺は係長の腕を掴んだ。「面子にこだわってる場合ですか。死者が出るかもしれないんです」

「手を離せ」係長は俺の手を振りほどいた。「久保を放すことの方が危険だ。奴を」

「……ポリタンクはいかがでしたか」

 いきなり横から声がしたので、俺と係長は言いあうのをやめてそちらを見た。海月が係長を見上げていた。

 海月は、すっ、と眼鏡を外した。

「久保宅の強制捜索をしたと聞いています。ポリタンクは出ましたか」

 係長はぎょっとした様子になり、黙った。喉のあたりが、ぐっ、と鳴るのが聞こえた。

「久保が真犯人なら、自宅から『次』のためのポリタンクが出ているはずです。でも、出なかったのですよね?」海月は係長を見上げ、声を荒らげるでもなく静かに言った。「だから取調で自白を取ろうとした。自白は取れましたが、担当した双葉巡査長は不審なものを感じている。真実を語っている感じがしない、捜査本部を混乱させるために出鱈目を言っている可能性がある──と」

「だが」

「そして久保は、ポリタンクはどこかに捨てた、と言ったのではないですか?」

「なぜ、それを……」係長は呻き混じりの声で言う。「調書はまだ、外には」

「想像がつきますよ、それくらい。そして所轄の捜査員が捜索に出ていますね? 久保の、はっきりしない供述に従って」

「まさか」俺は海月を見た。

「なぜそれを知ってる」係長の額に皺が寄る。「あんたのところには、逮捕の連絡すら……」

「久保の心理に想像がつくからです」海月の視線は係長をまともに捉えたまま、ぴくりとも動かなかった。「何もしていないのに犯人扱いされた。逮捕時だって、公務執行妨害の扱いは言いがかりとしか思えなかったでしょう。久保は警察を恨んでいます。だから警察に仕返しをしてやろうと思っている。自分の供述一つで大勢の警察官に無駄足を踏ませることができるんです。それならありもしないポリタンクの捜索を大人数でさせて、現場の捜査員に徒労感を与えてやろう、というつもりで。……ポリタンクの廃棄場所についての久保の供述、すでに何度か、理由なく変遷しているのではないですか?」

 係長の握った拳が震え出した。怒りのためではないと分かった。図星なのだ。

「川萩警部、あなたも本当は分かっているはずです」海月は容赦せず、視線で係長を射貫く。「少なくとも疑ってはいるはずです。久保は犯人ではないのではないか、と。それなのに、逮捕の報道が先にされてしまった」

「だ」係長は一度、かすれた声を出したが、ぐっ、と喉を鳴らすと咆哮した。「黙れ! 久保はクロだ! 今更覆るか!」

「覆さなくてはいけないんです。優先すべきは何なのかを考えてください。久保を釈放して誤認逮捕と言われるのと、そのままにして死者が出るのを黙って見ているのと、どちらがいいのですか」

 係長は海月から目をそらし、苛立たしげに拳を握り、また開いた。

 秒針の音がこち、こち、と続いている。こうしている間にも時間は過ぎていく。

「川萩克司かつじさん」

 海月は係長をそう呼んだ。

「あなたは何のために警察官をしているのですか? 出世するためですか? 給料を貰うためですか? 採用試験の面接の時、二十数年前のあなたはどう答えたのですか?」

 係長は殴られたように顔をそむけた。

 海月の言葉で、隣にいた俺も考えていた。俺はどうだったっけ。

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