久しぶりに食べたマグロが美味しすぎて涙が出る

検査の結果、小森谷くんの体を蝕んでいた腫瘍はすべてなくなっていた。喜びをかみしめる彼は、さっそく母親や親友の土岸に報告をする。そこで、土岸がお祝いに寿司をおごってくれるという話になり……。
末期がんを宣告された男性の❝ありそうでなかった❞半生を描いた、『小森谷くんが決めたこと』を特別掲載!

「体の中にあった腫瘍は全てなくなりました。治療はこれで終了ですね」

「……はい、ありがとうございます」

 体の奥から安堵の気持ちがあふれだしてきた。

 辛い治療や、先の見えない不安や、生命の危機から解放された喜びが、やがて彼の全身を怒濤のように駈け巡る。

「……ありがとうございました」

 深々とお辞儀をして、彼は病室を出た。一歩一歩を噛みしめるように、病院を出る。

 突き抜けるような眩しい青に呼ばれた気がして、空を見上げた。

 きれいな空だった。

 そうだ、うん、そうだよな、と彼は思う。

 世界はこんなにも美しく、こんなにも大らかで、こんなにも優しい。

 映画『ショーシャンクの空に』のラストのような気分だった。

 病という抑圧からの解放──。

 生まれてからちょうど二十九年。

 もしかするとこの二十九年で一番、今この瞬間が嬉しいかもしれない。

 駐車場に置いてあった車に乗り込み、運転席から電話をかけた。

 喜びや、感謝の気持ちに包まれながら。

「真……よかったね」

 母親は涙声で言った。

 もしかしたら母は、電話を切った後、思い切り泣きだしたかもしれない。

「ああ。そうか……よかったな」

 土岸は電話口の向こうで、しばらく黙った。

 すうー、すー、という土岸の呼吸音を、彼はしばらくの間、黙って聞く。

「けど、お前、仮病だったんだろ?」

 土岸のにやつく顔が目に浮かんだ。

「ああ、そうだな」

 ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、と二人はしばらく笑った。

 彼はそのまま電話をかけ続けた。

 弟や、最近携帯を持つようになった祖母に。バカな友人たちに。かつて好きになった女の子たちに。

 心からの感謝を伝えたかった。

 迷惑や心配をかけて申し訳なかったが、おかげさまで治りました。

 ありがとう。本当にありがとう。ありがとう──。

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余命2か月といわれた男—小森谷くんが決めたこと

中村航

僕、余命2ヶ月って言われたんですよ。でも、生き残っちゃいましたけど――。末期がんを宣告された30代男性の“ありそうでなかった”半生を、「100回泣くこと」の著者・中村航が小説化!

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cucciolo_rs16 生きながらえた主人公が感じたのは? 3年弱前 replyretweetfavorite