部下を叱るつもりが
“ブーメラン”でやり込められた!
連載第4回でお話しした、相手が「叱られた」と感じるような質問は、ともすれば「ブーメラン」になって質問した側に返ってくることがあります。
例えばこんなシチュエーションを想像してみてください。
あなた 「 お前さ、最近ちょっとたるんでるんじゃないか? 皆そう言ってるぜ」
後輩くん「そうですか。ちなみに皆って誰ですか?」
あなた 「ええとまぁ、少なくともおれはそう思ってるってこと」
後輩くん「つまり、先輩だけってことですね?」
あなた 「……」
後輩くんを叱るつもりだったのに、逆に相手から質問返しのブーメランをくらって、すっかりやり込められてしまったあなた。
どうすれば相手に素直に聞いてもらえるのでしょう?
自分の質問を
むりやり正当化していませんか?
冒頭の例のように、相手から質問返しのブーメランを食らってしまう質問には、ある共通点があります。
それは「自分の質問を正当化しようとしている」ところ。
冒頭の例で言えば、「皆そう言ってるぜ」と、わざわざ付け加えているところです。
この部分は、本当に必要なのでしょうか?
「皆がそう言ってるぜ」と付け加えることで、「最近ちょっとたるんでるんじゃないか?」という質問は、一見、説得力を増すように思えます。
しかし実際には、この相手を非難するような余計な部分が加わったことで、相手に「論破」されるリスクも高まっています。
例えばこんな感じです。
あなた 「 お前さ、最近ちょっとたるんでるんじゃないか? どうして田中みたいにちゃんとやれないんだ?」
後輩くん「 だって、田中さんとぼくじゃキャリアが違いますよね?(はい論破)」
「どうして田中みたいにちゃんとやれないんだ?」という部分は、明らかに質問を正当化するために挿入されたものです。
このように自分の質問を正当化するために、「身近な例」を比較対象として持ち出す人は非常に多いのですが、これはとても危険なことなんです。
「北風と太陽作戦」で、じんわり相手を動かそう
自分の質問を正当化しようとすると、「質問」が立ちどころに「主張」に変わってしまいます。
私はつねづね、「主張」と「質問」では、質問のほうが人を動かす強い力を持っていると感じています。
環境保護を訴えるミュージシャンや宗教家たちも、声高に主張をするのではなく、「このまま木を切り続けて大丈夫なのでしょうか?」といった「質問」を発信することで、世の中の人々に影響を与えていますよね。
問われることで、人々は動くものなのです。
「北風と太陽」の寓話でたとえて言うなら、むりやり人を動かそうとする北風が「主張」で、じんわり人を動かす太陽が「質問」。
このふたつを混同してはいけません。
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