かつて小説は有害メディアだった!?—読書と道徳

不道徳なお母さんライターが、日本の「道徳教育」のタブーに踏み込み、軽やかに、完膚なきまでに解体する新連載スタート!
子どもへの「読み聞かせ」等々、いまでこそ教育にもよいとされている「読書」ですが、文明開化まもない日本では、「本を読むと病気になってすぐ死ぬ」とまで(!)言われていた有害なものだったようで……

小説=死に至る病

「〇〇を見ると犯罪者になる」「〇〇をするとバカになる」式のメディア有害論はよく聞くが、「死ぬ」とまで脅されることはめったにない。しかし文明開化まもない明治日本では、知識人が「小説を読むと死んでしまう」と大真面目に論じていた。

中村正直といえば、ベストセラー『西国立志編』(明治4年)の翻訳者で、福沢諭吉にならぶ啓蒙思想家として日本史でもおなじみの有名人だが、彼が「中村敬宇」名義で1876(明治9)年に発表した「小説ヲ蔵スルノ四害」はちょっとすごい。漢文訓読体の原文は読みづらいので、かいつまんで紹介しよう。

第一「品行を欠く」小説を好む者は決して正人佳士(立派な人間)ではない。
第二「閨門を敗る」小説を好む婦女は醜聞が多いか、労咳(肺結核)で死ぬ。
第三「子弟を害す」親の小説を盗み読む子供は破滅するか、早死にする。
第四「悪疾多し」小説を好んで読む者は悪い病気を持っている人が多い。
「小説ヲ蔵スルノ四害」中村敬宇(『東京新報』第1號)

とにかく、小説を読むと病気になってすぐ死んでしまうのである。細木数子ばりに死の宣告が激しい。続く「淫書ヲ焚燬スル十法」では、小説は毒を天下に流し犯罪を誘発するものであるから「朝旨を請けて天下に明禁し永遠にふさぎ絶たしめ」、つまり法律で禁ずるべきであると説く。

中村正直が翻訳した『西国立志編』には小説の害を説く「稗官小説ノ害」という章があるので、サミュエル・スマイルズの原著”Self-Help”の影響なのかと思いきや、原著の該当部分はあくまでくだらない虚構を常習的に読み感情を動かしすぎると現実への感受性が鈍磨してしまうと戒めるにとどまっている。

「才能ある作家が書いたよくできた物語を熟読することは高度な知的快楽である」「程度をわきまえて楽しむぶんにはその喜びを妨げられることはない」と、小説読書そのものを批判しているわけではない。虚構の危険性について影響を受けたにしても、上記の箇所が訳から削られて単純な小説有害論になったのは、やはり当時の日本の事情によるものと考えたほうがよさそうだ。

ここまで強硬ではないにしろ、小説は害悪だと信じる知識人は珍しくなかった。明治2年10月15日の『集議院日誌』には、娼婦らとともに小説家を取り締まることを提案する「遊娼声妓俳優雑劇小説家等改制ノ事」なる建言が議会にかけられたことが記録されている。また明治初年代の大学の規則には、小説禁止を謳ったものも多くあったという(「『西國立志編』と明治初期の「小説」観 (Ⅱ)」三川智央)。当時の小説は、よほどまがまがしいパワーを秘めていたのだろうか。

小説は人心を惑わす「ウソ」だった

こうした小説観は、「小説」という概念が、今とは異なっていたことに由来する。明治初年代の「小説」は、江戸時代に生まれた大衆向けの戯作のことを指していた。もともと「小説」は「取るに足らない論議」という意味の中国語で、君子が天下国家を語る「大説」の対義語である。儒教文化圏では、虚構である物語は政治的にも道徳的にも役に立たない無価値なものであったため、卑下して「小説」と呼ばれていた。特に清朝の中国では、伝奇や演義などの小説は人心を惑わし風紀を乱すものとされ、出版禁止の勅諭が出されることもあったという。

儒教の強い影響下にあった日本のインテリ層の小説観も似たようなものだった。事実をもとに儒教道徳を説く四書五経などの漢籍で読み書き教育を受けた当時の知識人からすれば、娯楽のために書かれた小説は、人心を惑わす「ウソ」に過ぎない。子ども向けの草双紙はもちろん、遊郭での色事や荒唐無稽な与太話を描いた洒落本や人情本も、知識階級が読むようなものとはみなされていなかった。

中村正直がもともと江戸幕府の儒官だったことを考慮すれば、小説を法律で禁ずるべしとする主張も驚くにあたらない。知的快楽をもたらす「才能ある作家が書いたよくできた物語」としての小説は存在しないことになっていたのだから、翻訳からも割愛せざるをえなかったのだ。

「物語なら『源氏物語』などの古典文学があるじゃないか」と思われるかもしれない。学者の研究対象となることもあった『源氏物語』などの古典作品は、確かに「小説」とは別枠の扱いだった。それでも現代のようなゆるぎない芸術的評価を受けていたわけではない。現代社会で「『源氏物語』はエッチだからいけないと思います」などと言い出す人がいたら、とびきりの変人だと思われてしまうだろう。

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コメント

konjikinohiru 明治では小説も有害メディアと見なされて、読んでる人は「品行を欠く」「悪い病気を持っている」と蔑まれたようですし。 古い人が新しいもの叩くのは、どの時代も同じですね。 https://t.co/khrupovwCX https://t.co/FdN6wRdoCu 8ヶ月前 replyretweetfavorite

ahardluckhippo @mizmhmh https://t.co/HMKKWONddP アメリカの犯罪者の9割が食事の際にパンを食べたことがある、に近い言いがかりw 日本では明治時代に小説が有害だと言われていたようです。 10ヶ月前 replyretweetfavorite

wordcage "もともと「小説」は「取るに足らない論議」という意味の中国語で、君子が天下国家を語る「大説」の対義語である。儒教… https://t.co/kZeYlPHkUZ 12ヶ月前 replyretweetfavorite

chuthefisheater この手の話出ると必ず思い出す。 https://t.co/bH5eAC09mF 12ヶ月前 replyretweetfavorite