ジャッキー・チェンについて書くのならば、やはり生い立ちなどもあるていどは知っておくべきだろうと考え、彼が44歳のときに発表した自伝『I am Jackie Chan』(近代映画社)を手に取った僕は、裏表紙のデザインにしばし目を疑った。そこにあるのはジャッキーの百面相だった。ブックカバーにあしらわれた16枚の写真で、ジャッキーはさまざまな表情でおどけてみせている。キュートではじけるような笑顔。両手を口に添え「ヤッホー」と叫ぶポーズ。寄り目で舌を出すひょうきんな顔つき。あくびする口を手で押さえた、眠たげな表情。頬に手をあて「ちょっと酔っちゃったかも」という感じで目つきをとろんとさせたショットや、「あっ、燃えるゴミ出すの忘れた!」的なうっかりミスの顔。
あきらかにサービスが過剰である。それにしたって、ジャッキーはここまでやるのかと僕はおもった。だいいち気さくにもほどがあるのではないか。40歳をすぎ、世界的名声を獲得した映画スターなら「さすがに百面相はちょっとかんべんしてくれませんか」と断る権利だってあるだろう。うわさには聞いていたが、彼は本格的にいい人なのではないのだろうかと逆に心配になってくる。世界でもっともサービス精神の旺盛なエンターテイナーは、観客をよろこばせたい一心でヘリコプターにぶら下がり、ビルから転げ落ち、走るトラックの下をローラースケートですり抜けた。そんなようすだから、彼はもちろん百面相だって躊躇なくやり切るのだ。
時計台からの落下に代表される派手なアクション場面と、まったく歌詞を知らなくても歌えるキャッチーなテーマ曲をひっさげて、ジャッキーの監督作『プロジェクトA』が日本で公開されたのは84年。80年代前半、ジャッキーに夢中になった子どもたちは、繰りかえし再放送される過去作を通して彼に親しみ、カンフー映画の魅力をじゅうぶんすぎるほどに理解していた。むろん新作への心がまえは万全、ついに決定的なジャッキー映画がやってきたと興奮しながら劇場へかけつけたのだった。キャリアを通してもベストと評されることの多い『プロジェクトA』は、彼のスタイルの大きな変化を示す作品でもある。70年代に製作された、アクロバティックなカンフーを中心とした作品から、ジャッキー自身の言葉を借りるなら「本当に本当に本当に危険なスタント」(*1)を行うようになった最初の映画だ。『プロジェクトA』以降、スタントはジャッキーのトレードマークになったが、こんなに危ないことをしていたら撮影中に死んでしまうのではないかと僕はおもった。
それにしても、あれほどジャッキー・チェンに憧れたのはどういう理由だったのだろうとよく考える。もちろん彼のアクションはいま見ても新鮮だし、キレのよさは変わらないが、小学生の僕が感じていた興奮は、「爽快さ」「小気味よさ」といった言葉ではまったく足りないものだった。ジャッキーのカンフーに出会ってしばらくの時期、僕は完全にどうにかなってしまっていたし、気が済むまで何時間でもカンフーのまねをしているような子どもに変わった。ひまさえあれば、ひとりで演舞(カンフーの型を次々に繰りだすデモンストレーション)ばかりして、親がうんざりして止めに入るまで続けた。ジャッキーの本を買って読み、そこに載っていたファンレターの宛先住所へ、でたらめな英語で書いた応援の手紙を送った。彼の体現していた何かがすっかり小学生の僕に憑依し、しばらくの間支配していたのだった。両親は、演舞を止めないなら学校か病院に相談するしかないと言って脅したが、当時の僕にとって、納得のいく演舞を行うためのコンディション維持は何より重要だったため、決して止めなかった。
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