洞窟探検サークルを発見
転機が訪れたのは28歳のときだ。
アウトドア雑誌の『BE‐PAL』をパラパラとめくっていたら、「洞窟探検特集」という記事に目が留まった。特集では浜松を拠点に活動する洞窟探検サークル「浜松ケイビングクラブ」が紹介されており、連絡先も載っていた。
「これだ!」
オレは直感的にそう思った。
実を言えば、洞窟探検という遊びがあることは以前からテレビで見知っていて、テレビで紹介されていた洞窟に友達を誘って行ってみたこともあった。しかし、そのときは洞窟の前に立ち、中を覗いてみたものの、一歩も入らずに帰ってしまった。なぜか。オレはビビってしまったのだ。
洞窟が持つ得体の知れないパワーに圧倒されて、入口の奥に広がる底知れぬ暗闇が怖くてしょうがなかった。オレは、高いところも苦手だが、暗いところも苦手だったのである。 そんな記憶があったから、浜松ケイビングクラブの存在を知ったとき、「人に連れて行ってもらえば、暗所恐怖症の自分でも洞窟に入れるのではないか」と他力本願な発想を抱いたのだ。
電話をすると、電話口に出たクラブの会長はなぜかびっくりしていた。あとで聞いたら、そのとき連絡をしてきたのはオレだけだったらしい。日本を代表するアウトドア雑誌に掲載されたにもかかわらず、まったくリアクションがないということは、それだけ洞窟探検がマイナーというか、人の興味を引かないのだろう。
オレはその人に「洞窟へ連れて行ってください」と懇願して、洞窟探検への第一歩を踏み出すことになった。
はじめての洞窟で大興奮!
「マジか」
浜松ケイビングクラブが主催する洞窟探検にはじめて参加したオレは、いきなり面食らってしまった。何に驚いたかといえば、ケイビングクラブの人たちが人間一人がやっと通れるぐらいの隙間に何の躊躇もなく潜り込んでいく姿に、である。以前、友達と洞窟に行ったときに入口から中を覗いただけでむざむざと帰ってきたオレとしては、彼らの姿は信じられなかった。
しかし、驚いてばかりもいられない。彼らの勢いに巻き込まれるように、オレも怖さを忘れて、洞窟内へと潜り込んだ。
今にしてみれば、オレのような初心者を連れて行く洞窟だったので、特別に難しいところがあるわけではなく、ごくごく普通の横穴だった。しかし、それまで洞窟といえば観光鍾乳洞ぐらいしか行ったことがなかったオレにとっては、そこはまったくの別世界、異世界だった。
ケイビングクラブの人たちは、初心者のオレがいることなんて気にもかけずに、奥に向かってものすごいスピードで隙間をすり抜けていく。立って歩けるところなどほとんどない中、オレは必死になって彼らについていった。
洞内にはもちろん照明設備がないので、自分たちのヘルメットにつけたキャップライトだけが視界の先を照らしてくれる。自分が向いている方向だけはかろうじてどうなっているのかがわかるが、そのまわりは完全なる暗闇で何も見えない。
今まで経験したことがない異様な空間に身を置いている実感だけがあった。
暗闇の中を這うようにして進みながら、洞窟が持つ圧倒的なパワーに自分が吸い込まれていくような感覚が湧き上がってきた。たぶん洞窟に入って10メートルも進んでなかったと思う。
しかし、オレのテンションはすでに最高潮に達していた。
「これだ!これだ!これだ!これだ!」
「オレがやりたかったのは、こういうことなんだ!!」
大げさではなく、自分の心にドカーンと雷が落ちた感じがした。そして、まわりは真っ暗だったのだが、目の前がパーンと明るくなるような感じもした。
10代のころからずっと、自分の中には抑え切れない何かがあった。それがあるときはケンカというかたちで、あるときは仕事を通して発散されてはいたが、もやもやした気分は常に残っていた。自分は何がしたいのか。何をするべきなのか。工事現場の仕事は楽しかったし、やりがいもあったが、一方で人生を賭けるほどのものではないことはわかっていた。じゃあオレは何をするんだとなったときに、登山もやったし、スキューバダイビングもやったけど、どれもいまひとつだった。
そんなオレの心をわしづかみにしたのが洞窟だったのだ。
まさに運命の出会いと言っても過言ではない。運命の女性と出会った男が「オレにはこの人しかいない」と興奮するように、オレは洞窟の中で興奮しまくっていた。
この最初の洞窟で、オレは〝洞窟病〟に感染してしまった。洞窟病とは、ちょっとした岩陰も洞窟に見えてしまい、常に洞窟のことばかり考えていること。洞窟に行くため会社を辞めてしまう人もいる。
かく言うオレも、「洞窟に行くためにはどうしたらいいか」「そのためには仕事をどうやりくりすればいいか」とすべてのことを洞窟中心に考えるようになり、それまでは平日も休日も関係なく働いていたが、週末はきっちり休みにして浜松に通うようになった。
ただ、ことはそう簡単には進まない。実は浜松ケイビングクラブの会長がかなりの曲 者 で、オレが最初に参加した体験的な洞窟探検以降、いっこうに洞窟に連れて行ってくれないのだ。
「連れて行ってくださいよ!」
オレが何度頼んでも、会長はいつもああだこうだと言って、はぐらかす。
「吉田くんがカワイイ女の子だったら連れて行ってあげるんだけどなぁ」
「今度気が向いたときに連れて行ってあげるよ」
それでも洞窟に行きたい一心だったオレは、毎週のように浜松に通っていた。
「吉田くん、来ちゃったよ。どうする? 何かやる? どこか行く?」
「面倒くさいな~」
ほかのメンバーからもそんなことをよく言われていたし、活動らしい活動をせず、みんなで集まってご飯だけ食べて帰るということもたびたびだったが、洞窟の話を聞くだけでも楽しかった。
体験洞窟探検から1カ月ほど過ぎたころには、「洞窟フェスティバル94」 という洞窟探検家・愛好家が集まるイベントがあり、実行委員に任命された。その年は浜松ケイビングクラブが中心となって企画・運営をしており、会長からの「期間中に暇を見つけて洞窟に連れて行ってあげるから、吉田くんもよろしくね」という甘い言葉に乗せられたのだ。
イベントの期間はたしか3日か4日ぐらいだったが、事前の準備やら後片付けやらで10ぐらいは手伝ったと思う。その間、会社を設立して以来、はじめて仕事を休んだ。イベント期間中は、全国からだいたい150人ぐらい集まったのだが、受付をしたり、彼らが洞窟に行くために車でピストン輸送したり、Tシャツやら何やらの物販をしたりと、休む暇なく働いた。
すべては洞窟に連れて行ってもらうため。重症化した洞窟病のなせるわざだった。
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