63歳、日本初のシニアチアダンスチーム誕生!

85歳になる現在も現役で、華麗にステップを踏み、ターンを決める。「やりたいことをやって人生を楽しみましょう」と毎日を楽しくアクティブに送る滝野さん。
25歳で結婚し、1男1女にも恵まれましたが、結婚生活は砂を嚙むようなものでした。子どもたちも独立した53歳、父の死をきっかけに「幸せな老後ってなんだろう?」と考え、「老年学」を学ぶため、アメリカに留学しました。

シニアチアチーム「ジャパンポンポン」誕生

 アメリカから帰国したのが57歳。留学生活をまとめた『女53歳からのアメリカ留学』(ミネルヴァ書房)という本の執筆・出版などがありましたが、帰国後は父が残した会社の手伝いをしながら、平凡な毎日を過ごしていました。

 そして、1995年、62歳のときです。アメリカから送ってもらった本を読んでいると、そこに「平均年齢74歳のチアリーダーグループがある」という一文を目にします。
「えー! お年寄りがチアできるの!?」
 スカイダイビングだって何だって年齢に関係なくできるし、53歳でアメリカの大学院に留学することだってできます。 「年だからできないことはない」と思っていたし、実行してきたつもりなのに、お年寄りがチアリーダーをするなんて、微塵も考えたことがなかったのです。
 シニアでもチアリーダーができるという驚きはもちろんですが、「チア=若い人のするもの、以上、終わり!」と、自分で年齢の枠を作っていた、固定観念にまだまだ縛られていたことに気づいたのです。   だったらやってやろう!
 日本で誰もやってないなら、私がやろう!

 そこからはもう、勢いです。
 アメリカのチアリーダーの代表に、「自分もチアをやってみたいのだけれど、どうしたらいいのか? 教えてほしい」と手紙を書きます。
 手紙の直訴は得意中の得意です。でも、手がかりは、本に書かれていた、わずか2行の情報だけ。アリゾナ州のサンシティで活動していることはわかっていたので、サンシティの郵便番号と「サンシティポンズ リーダー様」宛てとだけ書いてエアメールを出したのです。
 普通、そんな宛て名の書き方で届くわけがないと思うのですが、偶然にも、その代表の方は20年以上郵便局で働いていたらしく、「あの人のことだろう」ということで彼女の元へ私の手紙が届いたのです。  奇跡としか言いようがありません。
 彼女はとても筆まめな人で、手紙のやりとりを重ね、いろいろなことを教えてくれました。
 そして、その年の暮れに、渋谷に友だち10人ほどを集めて、サンシティポンズのリーダーが送ってくれた写真を見せながら、「やってみない?」と誘ったのです。 「やる! やる!」と、その場でノってきた友だちも、たいしたものです。じゃあ、はじめるのならコーチが必要だろうと、そのままその足で青山学院大学の渋谷キャンパスに向かいました。

 友だちの一人が青山学院大学の出身で、渋谷から近いという理由だけで、青学のチアリーディング部の学生さんに教えてもらおうと思ったのです。
 でも、青学のチアリーディング部は当時は厚木校舎でやっていて、渋谷にあったのはバトン部。それでも、「バトンもチアも同じようなものよね」と気にもかけずにアポなしで訪問。戦中派だから知識はなくとも行動力だけはあるんです。
 そして、バトン部のキャプテンに会い、開口一番、「あなた、教えてくれない?」って言ったんです。 「はあ? 誰にですか? 娘さんに?」
「いえ、私たちによ」
「へぇえ?」
 そんなやりとりではじまりましたが、彼女がコーチを引き受けてくれ、1996年1月、5人で「ジャパンポンポン」の活動がスタートしました。

お遊びサークルではなく、ガッツリ体育会系

 練習は区のシニアセンターを借りて週に1回。その年の夏には、早くも初舞台を果たしました。誘われるがまま学生さんのバトンの発表会に出て、チンタラしたダンスを披露したわけですから、我ながらホント、怖いもの知らずです。
 そして、4年目の1999年、週刊誌の記事に取り上げられたのをきっかけに、マスコミが押し寄せてきて、ジャパンポンポンは大ブレイクします。
 毎週毎週、何かしらの取材がやってくるアイドル状態。といっても、勝手がわからないので頼まれるとホイホイ出ていっただけで、なぜだか、ボウリング場で踊らされたこともありました。
 一度、どこかのテレビ局が取材に来たときのことです。私がよそ見をしている間に、メンバーの一人をつかまえて、ポンポンを高く遠くに投げて、それを滑り込みで取るシーンの撮影をはじめていたんです。しかも、後ろから撮影して、スカートがまくれて見えるお尻をカメラで狙っている。

「やめてください!」とすぐに撮影を中断させ、帰り際には「絶対に放送しないでください!」と念を押したのですが、放送されてしまいました。
 腹立たしい! 年寄りのチアリーダーという物珍しさで取り上げられているだけで、注目されるのは一過性のものだとは重々承知していました。それでも、お尻を見せるため、見せ物になるためにチアダンスをやっているわけではありません。
 それからは、取材には厳しい条件をつけるようになりましたが、メディアの影響は大きく、テレビや雑誌に出るたびに入会希望をいただき、ジャパンポンポンは大きくなっていきました。

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85歳のチアリーダー

滝野文恵

「何歳からでも人生は楽しくできるのよ!」 滝野文恵さんがシニアダンスチーム「ジャパンポンポン」を立ち上げたのは63歳のとき。85歳になる現在も現役で、華麗にステップを踏み、ターンを決める。「良妻賢母」の枠にとらわれて苦しんだ時期を乗...もっと読む

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yuhyuh__ "チア=若い人のするもの、以上、終わりと、自分で年齢の枠を作っていた、固定観念にまだまだ縛られていたこと… https://t.co/ZqRjYfWqn8 3年弱前 replyretweetfavorite