人生に無駄なことなんてない」なんてこと、絶対にありえない

哲学者ヘラクレイトスは「世界は対立によって保たれている」と述べた。空腹の状態があってこそごはんが美味しいと思える。不幸があって幸せがあるから、幸せは幸せ。しかし、これだけは違う。「人生では良いことと悪いことが同じだけ起こる」。書籍『(推定3000歳の)ゾンビの哲学に救われた僕(底辺)は、クソッタレな世界をもう一度、生きることにした。』より特別連載。2018「紀伊國屋じんぶん大賞」エントリー中!

エリ先生が手づくり「人肉弁当」を持って、ひろの家までやってきた

 ピシュッ…………
 ピシュッ…………ピシュッ…………
 ドアの方から、得体の知れない音がする。これが噂に聞くラップ音というものだろうか?
 木造アパートの一室で、ひろは恐怖におののき、頭から布団をかぶった。今日はバイトもないし、一日マンガでも読みふけろうと思ったのに。起きて早々なんでこんな怪奇現象に悩まされなきゃいけないんだ……。
 低所得者層であるひろが買える布団は薄い。だから、「ピシュッピシュッ」というラップ音は布団を突き抜けて聞こえてくる。なんだこれは……ピシュタチオの呪いか……それとも妖怪嘗女か……。

 そのまま、20分が経った。
 もう我慢ならん! 止まぬ怪音に業を煮やし、ひろは意を決して布団をはぐと玄関へ向かった。この後平穏な気持ちで『東京タラレバ娘』を読破するためにも、音の正体をはっきりさせるべきだ。
 どうやら異音はドアのすぐ外から発せられているようだ。狭いキッチンのすぐ隣にあるドア、そののぞき穴から、ひろはそっと外の様子をうかがってみた。
 すると…………、そこにはなんと! 仏頂面をして、ドアノブを外側から鞭でピシュッピシュッと絶え間なく叩いているエリの姿があった。

「なんじゃそりゃあああっ!!! なにやってんのエリ先生!!!」

 ひろがドアを開けると、エリは不機嫌極まりない表情で強引に侵入してくる。

「あんたねっ、どうして早く開けないのよ!! 寒いじゃないのよ!!」

「知らんがな!!! なんで黙ってドアをしばいてるんですか怖いなっ! 文明人は人の部屋を訪れる時はインターホンを押すんですよインターホンってわかりますかドゥーユーアンダースタン!?」

「口答えするな!!」 ビシイッッ!!

「はちゃとぅりぁんっ!!」

「早くエアコンつけてよもう! 寒いわ! あんたの部屋は寒い! 貧相よ!」

 ブーツを脱ぎ、エリはコート姿のままどかどかと貧相な部屋に上がる。貧相な布団を踏みしだき、エアコンの真下まで進むと「はあ〜、寒かった」とボヤきながら送風口に両手を当てる。

「あのー。なにかご用でしょうか? そもそもなんでエリ先生がうち知ってるんですか?」

「ご用もなにも、哲学授業に決まってるでしょうが。……ねえ、ハンガー貸して。コートに貧相がうつっちゃうから」

 エリはオーバーコートを脱ぐとひろが差し出したハンガーにかけ、それをまたひろに差し戻しクローゼットに掛けるよう命じた。

「貧相とはいえ一応整頓はされてるじゃない。ひろのくせに生意気ね。ま、狭いおかげで暖房がすぐ効いて助かるわ」

「貧相貧相言うなっ!!! だいたい、普通にインターホン押してくれれば寒い思いすることもなかったでしょ! なぜ鞭を。なんだったんですかあれは!?」

「ふんっ。男の部屋を訪ねていってインターホン押すなんて、まるで彼女みたいじゃないのよ! あんたの彼女なんかだと思われたらイヤだったのよ! 最悪でしょそんなの!」

「なんだかよくわからないですけどね!! たしかに鞭でドアを叩いてる女は彼女だとは思われないよね不審すぎて! …………まあそれはもういいけど、授業をしにきてくれたんですか? わざわざ? なんの奇遇でもないのにどうして? 教えたがり? 先生は教えたガールですか?」

「ゾンビ先生に言われたのよ。ひろが梅子だかなんだかにフラれて元気がないから、授業にいってやれって。それで住所も教えてくれたの。面倒くさかったけど、ま、私も一度くらい遊びにきてやってもいいかなと思ってたし」

「ああそうか、この前のゾンビ先生の授業ではちょっとウジウジしちゃったからなあ。………………。え? なんですって? 一度くらい遊びにきたいと……? 思ってたんですかエリ先生が? え〜〜先生、来たかったんですね僕の部屋に〜!」

 ビシイッッ!! 

「来たかったなんて言ってないでしょ!! 来てやってもいいって言ったのよ!!」

「ああん痛い!! ……と思ったらそんなに痛くない!? 慣れてきたのかなあエリ先生の折檻に」

「手加減してやってるのよ! 元気がない教え子を本気で叩くわけにはいかないでしょ。……ほら、なにも食べてないんじゃないかと思って、お弁当作ってきたわ」

 エルメスのバッグを開けると、エリはタッパーをひとつ取り出した。「はい」とぶっきらぼうに言い、ひろの胸元に押しつける。

「え……お弁当……ですか? エリ先生が僕に……? 信じられない。どういう風の吹き回しなんだ。大寒波でも来るんじゃなかろうか……それとも竜巻か……それともフェーン現象か……それとも黒潮大蛇行か……」

「いるの!! いらないのっ!?」

「いります! ありがたく拝領! ……でも、待てよ。中身は大丈夫だろうな……ちょっと心配だな……。いや、まさかね。じゃあいただきまーす!」

 タッパーを受け取ると、ひろは思い切って蓋を開けた。そして、中身を吟味すること10秒。おおむねなにが入っているかを理解すると、ひろは唐突にトイレに向かって駆け出し、吐いた。

「げろっ、げろげろげろげろ〜〜〜〜〜〜っ!!!」

 その教え子の苦悶の様子を見て、エリはハッとしたように呟いた。

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ゾンビの哲学」に救われた僕は、クソッタレな世界をもう一度、生きることにした。

さくら剛

さくら剛の超・哲学入門! 「とっつきにくくて、わかりにくい」、「でも、人生の役には立ちそう」。本書は、そんなやっかいな哲学を「冴えない青年“ひろ”が、古代ギリシア生まれの哲学者“ゾンビ先生”から学んでいく物語」です。哲学とは? この世...もっと読む

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