ふらふらと起きだした彼は、熱を測った。
三十六度七分。やや高いが平熱だ。
体重を測りにいくと、五十五キロだった。病気前は六十七キロだったから、競馬の馬みたいな体重の減り方だ。
土岸に会ったら、これがホジキン・ダイエットだ、と言ってやろう。
明るく、前向きなほうが、病気の治りだっていいに決まっている。
激務をこなす看護師さんだって、患者が明るいほうが働きやすいだろう。
二回目の投薬、吐き気や痛みなどの副作用を、彼はひたすら耐え続けた。
こんなのはつらいうちに入らない。もっとつらい治療をしている人だっている。
自分が強い気持ちを持ち続ければ、心配してくれる人々の気持ちは、少しでも楽になる。
投与が終わると、熱がでた。体調は悪く、体力はあきらかに落ちていた。
だけどこれくらいで弱音を吐くわけにはいかない。医師も治ると言っているし、看護師さんも笑顔で話しかけてくれる。
自分一人で生きているのではない。
頑張ってみんなを安心させよう。せめて頑張って、みんなを安心させよう。
入院中はいろいろな人が、お見舞いに来てくれた。
普段は超絶軽いノリの人たちが、深刻な顔で見舞いにくるため、ああ、自分は今大病を患っているんだな、とあらためて実感する。
ある日、見舞いにきた土岸にそのことを伝えると、遅えよ! と言われた。
そーだよー、と土岸の彼女の美奈ちゃんも言い、その様子をメラくんがビデオ撮影する。
その日、土岸と美奈ちゃんは、病院に向かう前まで、破局寸前の壮絶なケンカをしていたらしい。
だけど病室では普通に振る舞っていたということを、後に結婚した二人に聞いた。彼を気遣い、彼の生還を願う者がいる。彼にはやはり、生還しなければならない理由がある。
何だか不思議なこともあった。
いろいろな友人が来てくれるなか、一番お見舞いに来てくれたのが、高木さおりちゃんというルミバイト仲間だった。
頻繁に病室にやってくるさおりちゃんは、三十分くらい彼と話し、じゃあ、またね、と言って去っていく。
彼女とは一年弱、一緒にバイトをしていただけだし、その後の何年かは会ってもいなかった。
確かに昔は仲がよかったけれど、どうしてこんなに見舞いに来てくれるのだろう、と疑問だった。
「さおりちゃん、どうしてこんなに来てくれるの?」
「家が近いからだよー」
病院の近所に住んでいるというさおりちゃんは、あははは、と笑った。
病室にさす光の粒子が、健康な彼女の笑顔に反射して跳ね回る。その笑顔が眩しくて、彼は何度も瞬きをする。
彼女は地上に降りた天使のようだ。
好きだ、好きすぎる、と、彼は思った。
がん患者でも恋に落ちるのだな、と、妙な感慨を抱いた。それにしても可愛い。
でも正直、昔はそんなに可愛いと思わなかった。
もしかしたら抗がん剤の副作用で可愛く見えるのかもしれないな、などと、彼はとてつもなく失礼なことを思う。
後日、土岸にそのことを伝えてみたら、「いっぺん死ねよ、お前」と、がん患者には決して言ってはならないことを言われた。
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