どうして自分だけがこんな目に遭わなければならないのか

小森谷くんはとうとう入院し、治療を始めた。このぐらいで弱音を吐いてはいけないと思っていた彼だったが、同じ病室の人の症状が急変した際、初めて弱気になってしまう。
末期がんを宣告された男性の❝ありそうでなかった❞半生を描いた、『小森谷くんが決めたこと』を特別掲載!

 入院をしたことがなかったから、いろいろなことが新鮮だった。

 白くて清潔な部屋。可動式のベッド。プリペイド式のテレビ。セーフティボックス。

 ナースコールのボタン。運ばれてくるごはん。美人の看護師。そうでもない看護師。同室の患者さん。売店。ロビー。デイルーム。院内にあるコンビニエンスストア。

 初日は血圧や体温などを計り終えると、もうやることがなかった。

 彼は意味もなく院内を徘徊し、早すぎる消灯時間に無理やり目を閉じた。

 翌日の午前、今までに受けた検査結果の説明があった。

 ホジキンリンパ腫。

 悪性腫瘍は肺や脾臓に散らばっており、病期はⅣ期。

 幸いなことに骨髄への転移はない。

 淡々と話を進める医師に、さすが慣れていると感じる。

 これから始まる抗がん剤治療についても説明を受けた。

 進めるのはABVD療法で、ホジキンリンパ腫の化学療法としては一般的なものらしい。

 まず採血をして、それから四種の抗がん剤を、五、六時間かけて、点滴で順に投与する。その際、吐き気や痛みなどの副作用がある。

 投薬をしたら、二週間休薬し、また同じ投薬をする。

 途中、検査をしながら、この治療を何サイクルするか決める。抗がん剤の効果は個人によって違うが、少なくとも半年程度はかかる。

 副作用の程度によっては、通院治療に切り替えることができるらしい。

 早速その日に、治療を始めることになった。

 吐き気止めの薬を飲み、採血をし、彼はベッドに横になる。

 ぽたり、ぽたり、と、点滴が始まる。

 副作用は思っていたよりも強くなく、点滴中は軽い二日酔いになった気分だった。

 吐き気もそれほど強くなく、点滴を打ちながら、昼食やデザートも食べられた。

 ただ四つめの抗がん剤に血管を痛める副作用があるらしかった。

 これがなかなか厄介で、最後の二時間ほどは腕に焼けるような痛みが続く。

 点滴を終え、彼は眠った。

 少し熱がでて看護師さんとやりとりをしたが、あまり覚えていない。

 翌日、検査の他にはすることがなかった。

 体調はどうですか、と、何度も看護師さんに声をかけられる。

 これから白血球が減り、免疫力が落ちてくるから、感染症には注意しないといけないらしい。

 赤血球も減るため、体力が落ちたり、貧血になったりもする。血小板も減るから、出血には要注意だ。

 またそのうち、脱毛の症状が現れるらしい。

 副作用には、点滴中や終わってすぐに現れるものと、二~七日後に現れるものがあるらしかった。

 吐き気や口内炎など、たいてい言われた通りに副作用は現れたが、薬を飲んだりすれば、耐えられないほどのことはない。

 体調は悪かったが、院内を普通に歩くこともできた。

 最初は物珍しかった院内だが、すぐに飽きてしまった。検査をして眠る以外は、ほとんど何もすることがない。

 昼はマンガを読み、あくびをし、昼寝をした。ときどき院内を歩き、またベッドに戻る。眠れない夜は、携帯ゲーム機でゲームをする。

 ある夜、同じ病室の人がいきなり重篤な状態になった。挨拶程度だが話したことのある患者さんだった。

 ばたばたと看護師さんが出入りし、がちゃがちゃと機器の擦れあう音がして、やがてベッドごとその人が運ばれていった。

 とても心配だったのだが、中ボスが強すぎるぞ、と彼はゲームをやり続けてしまった。

 こんな状況の中、自分は何をしているのだろうと思うのだが、何もできることなどない。あの人の力になりたいが、自分は無力だな、と感じる。

 翌日、病室にはベッドだけが戻ってきた。病室が移動になったとのことだが、詳しいことは訊けなかった。

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余命2か月といわれた男—小森谷くんが決めたこと

中村航

僕、余命2ヶ月って言われたんですよ。でも、生き残っちゃいましたけど――。末期がんを宣告された30代男性の“ありそうでなかった”半生を、「100回泣くこと」の著者・中村航が小説化!

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cucciolo_rs16 明日は我が身だったりすることも、なくはない。 自分に火の粉が降りかかってこないうちに知っておくことも大切。 3年弱前 replyretweetfavorite