ゾンビ先生の哲学授業 第10回「カントと普遍的真理」—後編
先生 じゃがな、そこをカントは、認識とはたしかに主観的なものにすぎないが、しかし人間はみな「人間の主観」という共通の認識の仕方を持っているはずだと主張したんじゃ。
ひろ おお。「共通の認識の仕方」! それは、「僕に見えているものは、他の人にも同じように見えている」っていうこと?
先生 そういうことじゃ。カントはこう考えた。まず、物にはその「正体」「真理」とも呼べる本当の姿がある。その本当の姿が「物自体」。ゴメちゃんで言うならば、呪滅怪怨骸鬼が物自体じゃ。
ひろ 「(仮)」ですよね? 仮にゴメちゃんの正体がその鬼だったとして、それがカントの言う「物自体」だと。
先生 ザッツライト。そして、我々はその物自体を、「人間独自の認識の仕方」で捉える。例えば「音楽のCD」を想像してみるんじゃ。CDには、0と1の二進法で構成されたデジタルのデータが書き込まれておる。そのままではただの「データが書き込まれた板」でしかないが、ところがその板をCDプレイヤーにセットしてやると、「データ」が「音」に変換され、「音楽」として我々の耳に聞こえてくる。……これは「テレビ」でも同じじゃ。わかるな?
ひろ はい。テレビも今はデジタルだから、0と1が並んだデータが東京シティスカイツリーとかから飛んできて、それを家のテレビが受信して音や映像にするんですもんね。
先生 その時、「飛んでくるデータ」を「物自体」だとすると、テレビはなんになる?
ひろ わかった。「人間独自の認識の仕方」! これがテレビですね!?
先生 そうじゃ。人間は、みな「人間独自の認識の仕方」というテレビのような道具を持っておる。受信機じゃな。そして人間である限り、その受信機を通した認識がバラバラになることはない。同じ電波を受信したテレビは、メーカーや型が違ってもみな同じ映像を映すようにな。
ひろ ほほおー、つまり、僕らはみんな同じタイプの認識の受信機を持っているから、人間であればみんな同じ認識の仕方をすると。
先生 それが「正しい認識」かは不明じゃがな。しかし「共通の認識」ではある。
ひろ ちなみに僕らの受信機って、どういうタイプなんですか? それはわからないのかな……
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