主君を騙そうという発想が、信長の家臣団には、まったくないのだ。
「いかにも、浅井長政殿が織田を離れて朝倉につく利はまったくない。長政殿の正室(お市の方)は信長殿の妹君でいらせられる。浅井と朝倉は三代にわたる縁に結ばれてはいるが、越前朝倉が浅井長政殿の北伸を邪魔しているのもたしかだ」
——謀反をおこすか、まったく牙を抜かれたかの両極端しかないのか、織田は——
信秀時代の織田、全盛期の義元時代の今川と、結果的に渡り歩いてきた家康にとって、徹底した反逆か徹底した従順かの二色にわかれている「信長の織田」が、ひどくいびつにもみえる。
「浅井殿とて、自分が朝倉を潰すことの理は承知しておられよう。徳川が今川を呑み込むように朝倉をそのまま呑み込めばいい。それが織田にとっても利があることゆえ、織田の援護もうけられる。徳川に遠江で武田信玄とたたかわせているように、浅井長政殿が越前を治め、越中・越後の上杉謙信と直接対決することの利が織田にはある」
信長は、情の面で浅井長政との緊密さを感じている模様だったが、家康のみる限り、それだけではない。徳川家康に武田信玄を、浅井長政に上杉謙信をそれぞれまかせておけば、信長は畿内の完全制圧と西国攻めに専念できる。
家康はひとつずつしらみを潰すように旧今川の城と領地を落としているが、信長は侵略速度ははやいが版図は虫食いだらけなのだ。伊賀も伊勢長島も摂津石山も丹波も手がついていない。
「そこまで理詰めで考えておられるのであれば、徳川様が案じられるのがわかりませぬ」
「人は損得や情だけで動くものではない」
「ほかに何で動くのでありましょうや」