朝倉攻め前夜

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎(かねがさき)の戦い(1570年)。徳川軍は、信長の頼みで織田軍とともに若狭国佐柿に進軍。朝倉軍の動向をうかがっていた。

四 佐柿二日目

 元亀元年(一五七〇)、四月二十四日、若狭佐柿。織田信長本陣。

 さすがに三万の大軍を動員していれば、いくら行動の予測が難しい信長でも、不意の一騎駆けがあるとは、家康もおもってはいない。そのいっぽうで、ちいさな山をふたつ越したところに朝倉義景の軍勢がいるとなれば、やはり落ち着かない。

 家康は、信長を信じてはいるが、すべてをあずけるほど無防備な性格もしていない。織田が放つ斥候(せっこう)とは別に、服部に命じて独自に伊賀者を放って諸方の情勢をあたっていた。織田からもたらされる情報と徳川伊賀者からの情報に齟齬(そご)があれば、そこに信長の罠がある。

 夜明けすこし前、信長本陣から「夜明けとともに軍議で信長本陣に参集されたし」との伝令が来訪した。

 織田信長の本陣は若狭佐柿の領主、栗屋(あわや)越中守勝久の居館にある。例により最上席には床几が三脚。信長と、家康と、そして空席。浅井長政がすわるべき床几で、こういうところは信長は妙に律儀であった。

 一段さがって最上席は柴田勝家、丹羽(にわ)長秀、森可成(よしなり)、佐久間信盛、明智光秀。全員が甲冑(かっちゅう)に身をかためていた。合戦は、ちかい。

 木下秀吉は信長の床几の脇でひざまずいていた。もちろん、信長のまわりには身辺雑務をする小姓(こしょう)や警護の馬廻衆がいるわけだが。

「明日、敦賀を攻める」

 信長がいった。

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金ケ崎の四人 ー信長、秀吉、光秀、家康ー

鈴木輝一郎

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。 信長(37)部下全員置き去りで逃亡。 秀吉(34)殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。 ...もっと読む

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marekingu #スマートニュース 3年弱前 replyretweetfavorite