設楽さん、どうやら落ちます」「言わんでも分かります」

すっかり話題の中心の海月警部。その噂は警察外部にも広まっていてーー。
テレビドラマ化もした人気の警察小説シリーズ、大ヒットした第1弾を全文公開。 推理だけは超一流のドジっ娘メガネ美少女警部とお守役の設楽刑事の凸凹コンビが難事件に挑む!



 午後十時過ぎ。他人の家を訪問できる時間帯でなくなったためその日の聞き込みを終わりにし、西東京署に捜査報告をするため車に乗り込もうとした時だった。受令機のイヤホンから、ガ、という音が聞こえ、緊張した声がそれに続いた。〈西東京市向台町四丁目××‐××で建物火災発生。放火の疑いあり。パトカーPC、周辺捜査員急行せよ〉

 助手席の楠さんと目を見あわせ、それから後部座席の海月に目配せする。

「三、四分で行けます」楠さんが目を細めて言った。「我々が一番近いはずだ。急ぎましょう」

「運転しますんで、案内願います」俺は運転席に滑り込みエンジンキーを回した。それと同時に、緊急走行する消防車のサイレンが聞こえてきた。

 現場は少し高台になっている所に戸建てが密集する典型的な住宅地で、狭い路地が入り組んでいる込み入った場所だった。駐車場所をうろうろと探す余裕はなく、俺たちは消防車の邪魔にならない路地に車を停めて走った。駐車禁止でステッカーを貼られる可能性もあったが仕方がない。

 現着の報を無線機に吹き込みながら急ぐ。現場は木造らしきアパートだった。すでに火が大きく燃え上がり、集まった野次馬の顔を橙に照らして火の粉を散らしている。立ちのぼる黒い煙が太く長く夜空に伸び、炎は風に揺られて右に左に暴れ回っている。二階部分はすでに火の海で、一階の割れた窓からも煙が出始めていた。

 現場を見上げた楠さんが呟く。「くそったれ。軽い気持ちでやったのかもしれんが……」

 放火という犯罪は結果が重大なわりに、実行のハードルは低い。さっと火をつけて逃げるだけでよく、もし失敗して燃え上がらなくても、自分にリスクはないからだ。それゆえに、類焼の危険など考えもせずに「ちょっと火をつけてやる」という感覚で実行する馬鹿がいる。楠さんの怒りは俺にもよく分かった。

 消防車はすぐに到着し、野次馬をどかそうとする怒号が飛び交い、じきに放水が始まった。怪我人は、逃げ遅れた住人はいないのか。まずそこが気になったが。

 楠さんが俺の肘をつついた。俺はそれで気付き、彼と目配せをしあって一歩前に出て、人垣に視線を走らせた。類焼だの逃げ遅れた住人だのの心配をするのは消防署の仕事だ。今ここで警察官がするべきことは。

 燃え方からして犯行からはすでに十分以上経っている。犯人はすでに逃走済みだろうが、これほどの騒ぎになれば現場を見に戻ってきている可能性もあった。放火犯という人種は臆病なわりに自己顕示欲が強く、自分が火災という強烈な現象を起こし、それが人を呼び集めた、という手応えを確かめるため、現場に戻らずにはいられないのだ。俺と楠さんは野次馬に交じって現場を見るふりをしながら、周囲の人垣をこっそり窺った。通報時、俺たちが現場の近くにいたのは偶然だった。犯人がここにいるとしたら、まさかこんなに早く警察が来ているとは思わないはずだ。

 斜め前、その右、またその右──視線を走らせ、周囲の野次馬一人一人の表情を観察していく。普通の野次馬はなんとなく火を見上げ、携帯で写真を撮るだけだが、犯人ならもう少しきょろきょろと、周囲の状況全体を見ておこうとする。そういう人間はいないか。

 だが何も見つからなかった。スーツ姿で携帯のカメラを構えるサラリーマン、サンダル履きで出てきた主婦、スウェットで出てきて互いをつつきあう幼い兄弟。皆ただの野次馬で、せっかく近所なのだからちょっとした非日常を見ておこう、という暇人の顔をしている。

 左に立つ楠さんに目配せする。楠さんも小さく首を振った。二人同時に後ろに下がり、人垣の外から現場を見ている人間がいないか、素早く周囲を窺う。会社員らしき男が一人、興味なさげに通り過ぎただけで、やはり不審な人間はいなかった。

 俺は楠さんに囁いた。「……どうやら、ここにはいませんね」

 楠さんも頷く。「慎重な奴ですね。仕方ない、現場に入りましょうか」

 俺は楠さんの前に出て人垣を分け、手を広げて野次馬を制止している消防隊員に手帳を見せて名乗った。消防隊員は面倒そうな顔をしたがとにかく輪の中に入れてくれた。

 楠さんと短く打ちあわせ、俺は現場確認と遺留品捜索のため敷地内へ、楠さんは通報者を探すため人垣に向け、それぞれ動いた。そうしている間に、回転灯を光らせた機動捜査隊のパトカーが到着するのが人の頭越しに見えた。ここまで車で入ってくるとは、機捜、、らしい強引さだ。

すいません、はいちょっとすいません、と繰り返しつつ人垣を分けてきた機捜の捜査員と話し、二名ほどを加えて共同で遺留品捜索にあたることになった。近づきすぎないで、と何度か消防隊員に怒鳴られながらアパート周辺を探っていると、機捜の若い捜査員が敷地の隅に捨てられているポリタンクを発見した。駆け寄って携帯に入れておいた画像と照合する。連続放火事件の犯人が残したものと同じだった。頷きあい、俺は事件発生時刻や第一発見者の情報が飛び交う音声の合間を見て、無線機に言った。「現場にて機捜がポリタンクを発見、照合しました。外観、これまでの遺留品と一致します」

 その報告をもう一度繰り返し、ようやく俺も自分の頭で事態を整理した。

 ……「次」が起きてしまった。

 無線によれば、現場はもともと解体を待っていた状態のアパートで、不法居住者の有無はともかく形式上は空き家だったらしい。人的被害が出なかったのは何よりだが、そもそも犯人がこの建物を空き家と知っていたかどうかには疑問が残るし、知っていたとしても犯行の危険度は増している。このままいけば、次は人のいる場所が燃やされる。同じ市内ではあるが、犯人はやはり前回の犯行現場から遠い場所にターゲットを移動させており、してみると、最後の犯行現場からは遠い場所にいた俺たちがすぐ駆けつけられたのも半分は偶然でなかったわけだ。

 アパートを振り返る。火はまだそのままの大きさで、火事場風が夜空に火の粉を舞い上げている。ついにここまでになってしまった。そう思うと悔しさがこみあげてくる。

 もちろん、現場を見て呻いている暇があるなら動かなくてはならない。不審者、遺留品、現場の侵入痕、目撃証言──集めなければならないものはいくらでもある。犯行間隔は徐々に短くなってきていたが、今度は昨日の今日だ。状況は切迫している。

 が、俺は表の路地に集まる野次馬の一部が奇妙なことをしているのに気付いた。二十人ほどの人間が、現場ではなく、その斜向はすむかいの方角を見上げてざわついている。

 俺は敷地の柵を跳び越えて路上に出た。駆け足で野次馬たちの輪に近づくと、彼らが何を見上げているかが分かった。そして、あまりのことに脱力してしゃがみこんだ。

 現場の斜向かいの一戸建て。その敷地に一本だけ植えてある木の枝に、何かがしがみついていた。まるでコアラのようだったが、本当にコアラだったらどれだけよかっただろう。しがみついているのは、コアラよりずっと大きな──ダッフルコートを着て眼鏡をかけた変な生き物だった。

 俺は気力を振り絞って立ち上がり、人垣をかき分けて木の下に移動した。変な生き物は俺を見つけると、設楽さん、と嬉しげに呼んだ。

「……海月さん」

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戦力外捜査官

似鳥鶏

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st01_madox   アレ=TVドラマは忘れて下さい。忘れましょう。てか忘れろ☆(←しゅがは風に) 3年弱前 replyretweetfavorite

Kawade_shobo 公開しました!|[今なら無料!]テレビドラマ化もした人気の警察小説シリーズ! 3年弱前 replyretweetfavorite