8年たっても復讐し足りない、復讐し続けたい
人間の心理は不思議なものだと思う。忘れていた感情が突然思い出されて、そのことにとらわれてしまうこともあるし、ひどく傷ついたのに、そのときの生々しい感情がどうしても思い出せないこともある。ある程度、自分の考え方の癖とか思考回路の習慣とかを認識しているはずなのに、いくつになってもうまく自分の感情を処理しきれない。どんなに人生経験を積んでも、「初めて感じる気持ち」というのがあるものなのだ。衣食住が足りれば、人は生きていくことはできる。ただ、人といい関係を作ったり快適に生きていったりするには、やはり自分のあらゆる感情をうまく整理し、コントロールしながら生きていくに越したことはない。ときおり再燃する憎悪の感情に振り回されてきた女性がいる。ミキコさん(35歳)だ。
case❸【結婚するつもりだった彼と妹が落ちた禁断の恋】
「自分なりの復讐はしたんです。これでもう彼のことは忘れようと決めたはずだった。それなのに、何度も憎悪がよみがえるんです」
彼女の表情が歪ゆがむ。いったい何があったのか。私は前のめりになった。
「それほど珍しいことではないのかもしれません。恋人を妹にとられたんです」
ミキコさんは、長い文章を話さない。単文をふたつか3つ、何かを読んでいるかのようにしゃべる。整理したつもりでいながらしきれていない感情を封じ込めているかのようだ。
少しリアクションに困りながら、私は彼女の言葉の続きを待つ。
「結婚を視野に入れてつきあっていた3歳年上の人がいて……。仲よしのひとつ違いの妹に紹介したところから、すべての歯車が狂い始めました」
8年前のことである。あとから妹に告白されたところによれば、最初に会ったとき、将来義兄となる人に一目惚れしてしまったのだそうだ。それが禁断の恋であることくらい、妹自身もわかっていた。だが、妹は恋する気持ちを止めることができなかった。
「彼のマンションの前で毎日、待っていたそうです。彼は困ったけど、いつも帰りなさいって大人の対応をしていた、と。でも真冬のある日、雪の中で妹は傘もささずに立っていたんですって」
彼と目が合ったとき、妹はこの上なく幸せそうな笑みを浮かべた。そして彼の腕の中に倒れ込んだ。そんな若い女性を放っておくほど彼は冷たくない。彼女を抱き上げて家の中に運び、服を脱がせてバスローブや毛布でくるんだ。暖房をきかせて温かいワインも飲ませたそうだ。
「妹はしばらくして目を覚まして……。そこからどうなるかは誰でもわかりますよね」
しかもミキコさんにとって不運だったのは、捨て身でぶつかっていった妹の心情に彼がほだされてしまったことだった。
「私はわりと理性的な人間なんだと思います。妹は感情的。ちょうど結婚を前にして、私と彼はふたりとも仕事をしているのだから、家事もちゃんと分担しようと話しているところだった。妹はそんなことは絶対に言わない女。彼のためならすべてを犠牲にする。それが彼にも伝わったのかもしれません」
ミキコさんの言葉数がだんだん多くなっていく。同時にあの頃の怒りを思い出したのか、青白かった顔に血の気がさしていった。妹と彼が何度寝たのか、ミキコさんは知らない。
ただ、ある日、彼の部屋に呼び出され、結婚の話はなかったことにしてほしいと言われた。あまりに急で、ミキコさんはまったく理解ができなかったという。
「とにかく彼は、なかったことにしてほしいの一点張り。理由も言わない。そのまま彼の部屋にいても埒らちが明かないので、また別の日に話そうと言って私は彼の部屋を出たんです。そうしたら彼のマンションの前でばったり妹に会ってしまった。あとから思えば、妹は私と会うように計算していたのか、そこで待ち伏せていたかなんですよね」
どうして妹が彼のマンションの前にいるのか、ミキコさんは当然理解できなかった。だが妹は、姉に向かってこう言い放った。
「彼に聞いた? 私とのこと」と。
「それでも私はわからなかった。妹や彼が私を裏切るなんて思ってもいなかったから」
妹はミキコさんを手招きすると、一緒に彼の部屋へと向かった。エレベーターの中ではふたりとも無言だった。
「妹は彼の部屋のチャイムを鳴らし、『私』と言ったんです。玄関を開けた彼は、私がいるのを見てびっくりしたような顔をして。妹はそこで言ったんです。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。