「次は、徳川様の番にございまする。ひとつ、つつみかくさず」
「わからぬことをたずねるのでもよいか」
「御意」
「そこもとは、なにゆえ東美濃の土豪から朝倉義景、一乗院覚慶、そして足利将軍と信長殿の二君づかえと渡り歩いておる」
「おかしいですかな」
「あまり例を聞かぬな」
「天下をとるために候」
「信長殿が聞いたら、たちまち謀反を疑われそうな物言いだな」
「あと二十年——いや、あと十年早く織田についておれば、あるいは謀反のくわだてと思われもいたしましょうが、この歳ならば、信長様を押し上げたほうが話が早い。花には咲きどきがある。拙者は咲きそびれ申しました」
「そこまでして、なぜ天下をとりたい?」
意表を突かれた表情で、光秀はたずねた。
「家康様は、とりたくないのでありましょうや?」
「あんなもの、とってどうするのだ」
家康の脳裏には先日来のすさみきった京の街並がある。
「明日を望んで生きる博打(ばくち)には飽きた。手堅く今日を生き延びるほうがいい」
家康の言葉に、明智光秀は啞然とした。
「本心は、奈辺にありましょうか」
「これが、本心だ。三河徳川の場所をかんがえろ。大井川をはさんで武田信玄とにらみ合っとるのだぞ」
甲斐の武田徳栄軒信玄は出来星大名ではない。源平の時代から続く名門なのだが、この当時からすでに声望が京にもひびいていた。
「信玄の戦いかたは多彩をきわめとる。約定を平気で破るかと思えば妙に固いときもあり、間者(かんじゃ)をおくりこんで諜報にいそしむかとおもえば、大井川を渡って正面から襲ってくるやも知れぬ。一国半を守るだけでもひいこら言ってるのに、天下なんぞ、わしの手にあまるわい」
とはいうものの、
——光秀に理解できるのだろうか——
そんな気持ちがある。
「もちろん、天下を——日本ぜんぶを手中におさめる夢は、寝ているときには見ることもある。しかし、夢を見ることと、夢をかなえることとは手立てがちがう」
——光秀に誤解されたままでは、まずい——
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