光秀 腹を割る@若狭佐柿

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎(かねがさき)の戦い(1570年)。徳川軍は、信長たっての頼みで織田軍とともに京都に留まっていた。しかし、いつまでたっても信長から出陣先が告げられない。具体的な指示がないままひとまず琵琶湖西岸を北上することになった。


 騒乱らしい騒乱はまったくなく、織田・徳川連合軍三万は昼まえに若狭佐柿に着陣。信長からの使者が全軍に走り、騎馬武者が招集された。

「一同に伝える。今朝ほど、勅令の綸旨(りんじ)がくだされた」

 例によって最上席には家康と信長と、ほんとうは浅井長政が座るはずの空席の床几(しょうぎ)が据えられており、木下秀吉が信長の脇でひざまずいて、綸旨をうやうやしくひろげ、信長のかわりに読み上げた。

「改元である。あたらしい元号は『元亀(げんき)』」

 木下秀吉が元号の名を大書した紙をひろげて、諸将にしめした。

「本日は改元を祝し、佐柿に逗留する。一同、兵馬をやすめるように」

 御意、と全員が頭を下げ、軍議は散会となった。

 —ここは、戦場のはずなのだが

 信長が木下秀吉とともに退席すると、とたんに室内の緊張がほぐれた。信長の行動に予測がつかないのがよほど恐ろしいのか、織田の軍議は、とにかく信長がいるときの緊張感が尋常ではない。もちろん、信長は桶狭間のとき、軍議では雑談に終始して深夜一騎駆けして家臣団を周章狼狽(しゅうしょうろうばい)させた経験があるので、家臣団が緊張するのは当たり前なのだが。

 —それの反動としても

 緊張感がない。

「あまり、得心がゆかれてない様子ですな」

 明智光秀が家康のそばに寄って、周囲の諸将に聞こえる程度の声で言った。

「それは—」

 家康の立場が立場である。どうこたえるべきか迷っていると、すかさず明智光秀は具足の高紐にくくりつけた革の小袋から、さいころをふたつ、取り出した。

「右手をひろげてくださいませ」

「こう、か?」

 明智光秀は左手でさいころをふりながら、

「奇数?偶数?」

「とは?」

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金ケ崎の四人 ー信長、秀吉、光秀、家康ー

鈴木輝一郎

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。 信長(37)部下全員置き去りで逃亡。 秀吉(34)殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。 ...もっと読む

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marekingu #スマートニュース 約3年前 replyretweetfavorite