おい、俺たちこの女の子、見たことあるぞ」

一方、糀谷署管内で起きた女性殺害事件。刑事たちは被害者の写真から、かすかな記憶を辿りーー。
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糀谷こうじや署一階のラウンジは静かだった。深夜零時前となればひと気もなく、空調の音だけがブ—ン……と、貼りついたように続いている。節電ということもあって天井の明かりは消され、自販機の光がベンチに座る高宮の顔を青白く照らしている。同じように顔を照らされた古森が、手にしたビールの缶をぺき、と鳴らした。それだけの音がよく響いた。

「……どう思う」

 古森が、自販機の取り出し口のあたりに視線を据えたまま、ぼそりと問う。

「やっぱり、流し、、の犯行とは思えません。被害者ガイシャの女、何かあるはずなんです。俺が忘れてるんだ」

 古森は缶を指で撫で回しながら答えた。「俺もそう思う」

 また静かになる。二人とも記憶を探っている。

 糀谷署管内の公園で女性が殺害される事件が起き、同署に特別捜査本部が設置されてから一週間が過ぎようとしていた。被害者は近所に住む野尾美咲のおみさき二十五歳。一人暮らしだったが両親も都内に住んでおり、身元の確認はすぐにできた。都内の大学に通う大学院生で、持っていた学生証から身元がすぐに判明しただけでなく、彼女が殺害される前、ゼミの友人数名と居酒屋のチェーン店で酒を飲んでいたことも分かった。駅から歩いて帰る途中、酔い醒ましのためかこの公園で休んでいたところを襲いかかられたらしい。絞殺で、犯人はビニール紐のようなものを用いて襲いかかり、背後から一気に首を絞めている。ほとんど抵抗した跡がないことから知り合いの犯行と考えられなくもなかったが、被害者が酩酊めいていして危険を察知できなかったか、あるいは自宅の近所まで来て安心していたという可能性もあった。

 持っていたハンドバッグの中から現金は奪われていたが、物盗りの犯行とは考えにくい点もあった。野尾美咲が首を絞められても抵抗できない程度に酩酊していたとしても、そうでなかったとしても、わざわざ殺す必要はない。ハンドバッグごと引ったくればいいだけだからだ。体にも何もされていない。酩酊して深夜、ひと気のない公園に一人でいた──という無防備な時を狙われたこと、凶器がビニール紐のようなもの、という、あらかじめ準備する必要のある物だという点からも、怨恨による計画的な犯行の線が疑われ、被害者の身辺が洗われた。

 だが、彼女には当時、トラブルを抱えていた様子は全くなかった。友人関係は良好、友人や指導教官の評判もよかった。学部時代から交際を続けているという恋人がいたが、事件発生当時はアリバイが確認されており、恋愛関係でのトラブルも出てこなかった。無論、見かけ上平凡な女性がギャンブルや出会い系サイト、素人売春といったものに関与している事例はいくらでもある。当然そちらの方面の捜査もされたが、行きつけの店から手帳・パソコンの記録までいくら洗っても、いかがわしい雰囲気のものは何も出てこなかった。ブログもSNSもやらず、友人と飲んで騒ぎ、流行の服を着て、洒落たレストランに行ったりするのが楽しみというだけの、これといった特徴のない女性だった。

 捜査が進んでそのことが明らかになるにつれ、捜査員たちの心中に嫌な疑念が浮かんだ。ひょっとして、流し、、の犯行ではないか。被害者の身辺からでは容疑者まで辿れない通り魔的な殺人だったとすれば、解決はかなり困難になる。

 だが、高宮と古森は「流しの線」にどうしても納得ができなかった。重大な何かを忘れている気がするのだ。

 高宮は財布に折り畳んで持っている、被害者の顔写真を出して広げた。聞き込みなどに使う物とは別に、被害者の写真を──できれば笑顔の写真をもう一つ身につけておき、いつでも見られるようにする。そして何かの折にそれを開き、被害者の無念と遺族の悲しみを考え、犯人への憎悪を確かめる。そうすることが、捜査で結果が出ない時に自分を奮い立たせる燃料になった。

 古森は横目でそれを見て、高宮に悟られないように微笑んだ。それはもともと古森の習慣であり、以前、組んでいた時に、まだ新米だった高宮が古森を真似たのだ。古森自身が教えたわけではないが、高宮は古森がそうするのを、どこかで見ていたのだろう。

 現在、古森は殺人犯捜査第六係長として、高宮は係員として、ともに「糀谷公園女子大学院生殺害事件特別捜査本部」の一員となっている。事件発生からまだ一週間なので、自宅に帰らず、糀谷署の武道場に寝泊まりしている捜査員が多かった。古森も高宮も、今は自宅に寄って取ってきたTシャツにスウェットの姿である。

 古森は高宮をちらりと見て、何年続いた習慣だろう、と考えた。「泊まり」の捜査が一週間以上続いた場合、古森は寝る前に缶ビールを一本だけ飲むことにしていた。外に出るでもなく、つまみを並べるでもなく、ただ薄暗い署内のラウンジで、缶ビールを一本。勤務中とは違う精神状態で捜査のことを見直すにはその一本が必要だったし、その一本で足りた。そしてこのささやかな晩酌には、高宮がつきあうことが多かった。組んでいた当時から高宮と古森は馬があうところがあったから、古森が殺人犯捜査第六係長になり、指揮する立場になっても、まだこうして並んで座り、言葉少なに缶に口をつけている。

 高宮が見ている写真を横から覗き見た古森は、頭の中に何かが灯るのを感じた。

「高宮、ちょっとその写真、見せてくれ」

 写真を出しているところを見られているとは思っていなかったらしく、高宮は少し驚いたようだったが、黙って折り皺の入ったそれを差し出してきた。受け取った古森は、写真の被害者を観察する。今はこの通りしっかり化粧をしているし、髪型も髪の色も違う。だが。

「おい、俺たちこの女の子、見たことあるぞ」

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