過去とは、すべて偽りの記憶
おや? もうそんな季節だっけ? とひろは首を傾げた。
昼過ぎに始まる休日、ひろは布団の中からテレビをつけ、なんとなく午後のニュースを眺めていた。
映し出されたのは、荒れる成人式の模様。来賓による挨拶の最中に、金髪とボウズとリーゼントの若者たちが壇上に乱入、日本酒をラッパ飲みしつつクラッカーを鳴らして騒いでいる。慌てて来賓が退出する脇で、チンピラたちは甲高い笑い声を上げながら写真を撮り合う。「先ほど終わったばかりの世田谷区の成人式では、ご覧のように何名かの新成人が壇上に上がり、式の進行を妨げる場面がありました」とレポーターが中継で伝えているので、紛れもなく今しがたの映像である。馴染みのある景色……、これはひろのアパートからほんの数百メートルの、世田谷会館だ。
中継はそのまま続き、「会場外の世田谷公園では、式を終えた新成人たちが思い思いの時間を過ごしています」とレポーター。カメラがパンすると、公園のあちこちで振り袖姿の女性がグループを入れ替わり立ち替わり、大記念撮影大会を繰り広げている様子が映し出される。
その中には、若々しいピンクの振り袖姿で写真に収まる、エリの姿も見えた。
「ええええええええええええっっ!!! エリ先生っ!? なんでエリ先生が成人式に!? そんな歳じゃないじゃないか! 大年増のくせになに考えてるんだいったい!!」
ひろは思わず飛び起きると、世田谷公園に向けて離陸した。
「えーと、この石橋の付近にいたと思うんだけど……どこ行っちゃったのかな……オシッコでもしてるのかな……」
電光石火で公園に着いたひろは、あたりを見回しながら石橋を渡り、公衆トイレ方面へ向かった。さすがに正装での用足しは難易度が高いためか、トイレ近辺は人気が少ない。
「中にいるのかなあ。でもあんな美人が小便をするとも思えないけど……。でも一応ちょっと待ってみるか……。それにしても最近の着物はカラフルで華やかだよなあ。ふんふふーん♪ ふんふふーん♪ ふんふふぎゃあああああ——っっ!!!」
ふと公衆トイレの裏をのぞき込んだひろは、自分の見た光景に戦慄の雄叫びを上げた。…………エリだ。エリが、食事をしている。
すぐさま視界に入らぬ位置まで逃げたが、ひろの目には、エリがまるでジャグリングでもするかのように複数人の体の部品を操りながら食べているシーンが焼きついた。み、見てしまった……。さっきテレビの中の式で暴れていた、金髪と、ボウズと、リーゼントが、た、食べられていた……八つ裂きにされて……いやああああ〜〜〜〜〜っっ!!!
「ちょっとなんの騒ぎよっ!! 誰!? まったくうるさいわね人が食事してるって言うのに!」
「いぐ——っっ!!! ごめんなさいっ!! ごめんなさあい!!!」
口元から血を滴らし、首に巻いたフェザーショールを真紅に染めたエリが腹立たしげな表情で姿を見せた。
「……あれ? ひろじゃない。どうしたのよ。奇遇だわね、こんなところで会うなんて」
「奇遇じゃないっ!!! それどころじゃない!! 怖い!! お巡りさぁぁん!! 助けて!! 警備員さぁん!! 誰か! 大変です人が食べられてますっ誰かあ——!!」
「とおっ!」
「うげっ!」
首の後ろ、延髄に手刀の一撃を受け、ひろは気を失った。
ひろが目を覚ますと、そこは見慣れぬ殺風景な部屋。長机と長椅子がいくつも並ぶ……、どこかの会議室のようだ。
「どう? 少しは落ち着いた?」
「ぎょっ! エ、エリ先生……お、おはようございます。ここは?」
「世田谷会館の談話室よ。連れが気分が悪くなったから休ませたいって言ったら開けてくれたの」
「あ、そうですか。なんで僕はここにいるんだっけ? 目まいがするな……なんか胸がドキドキ……」
あらためてひろはエリの全身を眺めた。アップでまとめた髪が、桜の柄の乗ったあでやかな振り袖によく似合っている。心配げに自分を見つめるその瞳に、ひろは吸い込まれ食べられてしまいそうな気分になった。
しかし、エリの首を巻く鮮血色のフェザーショールを見て、ひろは我に返った。
「はうっ!! あなた…………、食べたね!? 食べたね新成人を何人も!! 前途ある若者を!!!」
「食べたわよ。言ったでしょう、私は人間を食べないと活動できないの。そしてどうしても誰かを食べるしかないのなら、善良な人間よりは」
「成人式をぶち壊すような不良を食べた方がいい、という論理に僕は納得しない!! してなるものかっ!! 日本は少子化で人口が減ってるんだからな!! ああいう輩は知能がマウス並みだから、マウス並みにたくさん子孫を残しそうじゃないか! そんな繁殖力の高い個体を食べるなんてもったいない! 乱獲だ!! だいたい、どうやって会場に入ったの!? あいつらが不良だっていうのは、式に出席してなきゃわからないよね!?」
「イドラの呼気で受付係の認識を誤謬させて入ったのよ」
「あっそうか……。ていうか、わざわざごはんのためにここに来たんですかエリ先生は?」
「私だって、なるべくならまっとうな人間は避けて、ろくでなしを優先して食べようと思ってるのよ。だからお腹が空いたら、ろくでなしが出没しそうな所に顔を出すの」
「一応優先順位は考えてくれているんですね……。でもなんだか複雑な気分だなあ。ゾンビがあんな堂々と人を食べてたのに、真実に気づいてるのは僕だけだなんて……。他のみんなは誰も本当のことを知らないんだもんなあ」
「へー。あんたは『ゾンビが人を食べてた』ことが、真実だって断言できるの? 『真実』っていうのは絶対的なものなのよ? 私が人間を食べていたことが絶対的な事実だと言えるの?」
「事実ですよ!! 真実です!! だってついさっきこの目で見たんだよ!? ほんの5分や10分前の出来事なんだからね! まだありありと思い出せるあの光景!! つい今しがたの記憶なんだから、間違いないにもほどがある!!」
「まったく……、相変わらず浅いわねえあんたは」
「浅くな〜〜〜い!! 全然浅くな〜〜〜い!!」
「いいわ。太陽も出てきたようだし、外を歩きながら哲学授業よ」
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