太宰治の言葉に殺されたい人へ。『人間失格』よりも狂った物語とは?

京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う名著を選んでみた。17作目は、太宰治の『ヴィヨンの妻』。太宰治の言葉に殺されたい人へ。男のクズさと女の冷たさを楽しむ短編小説。幸せなんかなくたって、とびっきりの不幸に酔わなくったって、女は生きていける。【重版出来しました】『人生を狂わす名著50』より特別連載。作家、有川浩も推薦! →公開は毎週木・金です。

太宰治の言葉に殺されたい人へ

『ヴィヨンの妻』太宰治
(新潮社)初出1947

女はやさしい VS 女はこわい

日本文学史上最高にキャッチーな「太宰の殺し文句」で、男のクズさと女の冷たさを楽しむ短編小説。#短編小説 #太宰治晩年の作品 #「夫婦」を描く一冊 #放蕩夫を旦那に持つって大変  #青空文庫にもありますのでぜひ #映画化(松たか子が美しい!) #旦那さんを見放したくなったときに読みたい一冊 #奥さんに見放されそうなときに読みたい一冊


《人生を狂わせるこの一言》

「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」

「人非人」。人でありながら、人の道にはずれた行いをする人間。ひとでなし。
 久しぶりにこの言葉の原典に出会って驚いた。そ、そうかこの言葉の元ネタって『ヴィヨンの妻』だったんかー、と。あやうく出典すら忘れて使うところだった。
 この台詞が最後に出てくる、太宰治の短編『ヴィヨンの妻』—初めて読んだのはいつだっただろう? 覚えていない。何せ太宰の短編というのは大量にあるので、基本的に読んでは忘れるし覚えていてもどのタイトルがどの内容だったかもはや一致しない、という記憶状態がザラだ。
 太宰は長編よりも短編の方が好きなので読むたび新鮮な気持ちで読めるのは嬉しいことではあるけど、この記憶力の悪さはいかがなもんか、と我ながらため息をつく。

「日本文学史上もっともキャッチーな言葉を生んだ大賞」は太宰治にあげよう。

 それにしても、強い台詞だ。
「私たちは、生きていさえすればいいのよ」。どこから出た言葉なのかすら忘れて、自分にこの台詞を何度か言い聞かせたことがある程度には、強い。
 私たちは、生きていさえすればいいのよ。太宰はこーいう「殺し文句」が異様に上手い。モテただろうなぁ、と思う。女の記憶に残る殺し文句を言える、というのはモテの第一条件だ。

「恥の多い人生を送ってきました」「威張るな!」「メロスは激怒した」

 殺し文句を挙げればきりがない。「日本文学史上もっともキャッチーな言葉を生んだ大賞」は太宰治にあげよう。
 さっきも言ったけれど、小説の中でこういう「殺し文句」を生み出せるのは才能だ。その言葉だけでもう小説の80パーセントくらいを持ってける言葉。天賦の才でしかない。やっぱりさぁ、モテるんですよこういう人は……(まだ言う)。
 太宰というとどうしても『人間失格』やら『斜陽』やら暗い作品が目立つし、その4回の自殺未遂と5回目の入水自殺という華麗な経歴に目が行きがちだけれども、彼はどう考えても生粋のエンターテイナーであったのだと思う。
 じゃないと「メロス」なんていう愉快な名前つけんだろ。メロスですよメロス。もちろんギリシャ神話のMoerosから取った名前だろうけど、それにしてもキャッチーすぎる名前だよな。太宰のエンタメ精神よ。

 そんな彼の短編の中で、私は『ヴィヨンの妻』がいちばん読んでいてきゅんとしてしまう。
 めっちゃ短い短編で、青空文庫もあるのでぜひ通勤電車の中で読んでほしい(通勤電車の中にふさわしい内容かどうかはちょっと微妙だけど!)。
 太宰の「女」に対する独特の視線がクセになる作品なのだ。

 小説の語り手は、とある詩人の奥さん。この自称詩人の「大谷」という男、一切お金を稼いでこないうえに酒飲みだわ遊び人だわのどうしようもない旦那。ふたりの子どもは病身で発育の悪い4歳児。そんな日常を、奥さんはたんたんと語る。
 大谷はなんだか妙に優しくなったかと思いきや、突如失踪してしまう。そのうえ料理屋からお金まで盗んだりする。困った奥さんは子どもをつれてひとまずその料理屋で働く。そんな折、奥さんのいる家にある男が泊まることになり……と、こっからは短編を読んでほしい。
 まぁ、要はクズな夫とそれでも家庭をなんとかする妻の話、である。

 しかしこの旦那に対して、奥さんは悲壮感や嫌悪感を出さない。語り口はどっちかっていうとかなりユーモラスな類である。天然かしらこの奥さん、と読者が思ってしまうほどに。

またもや、わけのわからぬ可笑しさがこみ上げて来まして、私は声を挙げて笑ってしまいました。おかみさんも、顔を赤くして少し笑いました。私は笑いがなかなかとまらず、ご亭主に悪いと思いましたが、なんだか奇妙に可笑しくて、いつまでも笑いつづけて涙が出て、夫の詩の中にある「文明の果の大笑い」というのは、こんな気持の事を言っているのかしらと、ふと考えました。

 これが「夫が犯した料理屋での泥棒騒動」を聞かされたときの反応である。
 なかなかユーモアを持った、だけど同時にどこか冷たい(感情が入っていない)反応だなと思う。ふつう、旦那が料理屋で騒動起こした、と聞いたらもっと青ざめたりするもんだろう。
 でもこの人は「笑う」のである。

「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ」
「女には、幸福も不幸も無いものです」
「そうなの? そう言われると、そんな気もして来るけど、それじゃ、男の人は、どうなの?」
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」

 女には幸も不幸もない—この言葉のひんやりとした感触よ。そして「そんな気もして来る」と言う奥さんよ。
 私はこの小説の、どこまでいっても冷たい、だけど表面上は明るくユーモアを持って生きているという、その狂気と常識の絶妙なバランスが好きだ。
翌朝旦那が殺されていました、なんて言われても妙に驚かないような冷たさと、同時に女の人特有の寛容なユーモアで覆うセンス。「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」と言われたときの、旦那の顔(出てこないけど)。

けれども、こうして手短かに語ると、さして大きな難儀も無く、割に運がよく暮して来た人間のようにお思いになるかも知れませんが、人間の一生は地獄にございまして、寸善尺魔、とは、まったく本当の事でございますね。一寸の仕合せには一尺の魔物が必ずくっついてまいります。人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。

 幸せなんかなくたって、とびっきりの不幸に酔わなくったって、女は生きていける。
 太宰から見たら、そんな女の人の姿が怖かったのかもしれない。だけど怖かったからこそ—この短編は絶妙なバランスをもって成り立っている。
 こういう、背筋がひやっと冷たくなるユーモアは、女に特有で、女だけが共有できる秘密の気配なのかもしれない。
 ふはは、見たか、男たち。存分に女に恐怖してくれたまえ。


次回紹介する本

残酷でタフな世界を生きる小さいあなたへ
18/50『悪童日記』アゴタ・クリストフ(早川書房)初出1986

子どもは弱くて純粋 VS 子どもはしたたかで残酷

子どもは純粋無垢なんて思うと痛い目見ます。たったふたりで世界を生きた、この世でいちばん残酷でクールな双子の物語。#外国文学 #双子が主役 #日記体文学 #映画化(主人公の双子くんたちが良い) #戦争中の街が舞台 #処女作 #ゲーム「Mother」に影響を与えた小説としても有名 #続編『証拠』『第三の嘘』もあるよ #読んでいくうちにその残酷さで背中が凍ってくるのが快感になるからすごい

重版出来!知らない本が知れる。知っている本は、もっとおもしろくなるブックガイドです。

この連載について

初回を読む
わたしの咀嚼した本、味見して。

三宅香帆

人気連載【京大院生が選んだ「人生を狂わす」名著50】がリニューアルして再スタート! 書籍『人生を狂わす名著50』の著者であり、現役の京大院生で文学を研究し続ける24歳の三宅香帆が、食べて、咀嚼して、吐いた本の中身を紹介するブックガイドです。

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コメント

epe1002 時間がありそうなので買ってきて、のんびり川沿… https://t.co/rPPKa223ct 約1年前 replyretweetfavorite

consaba 三宅香帆「日本文学史上もっともキャッチーな言葉を生んだ大賞」は 約1年前 replyretweetfavorite

taroulion627 https://t.co/MJAEs6q66c 👎 約1年前 replyretweetfavorite

nishino_fumi あ〜太宰読み返したくなってきた!太宰は暗いのではなく、ユーモラスなペシミストなんだと思ってる 約1年前 replyretweetfavorite