「もし——」
家康は、慎重に言葉をさがした。ひとつ間違えば織田全軍が敵になるのだ。
「もし?」
「もし浅井長政が朝倉義景につこうかと逡巡しているなら、いかがなされる?」
「それはない」
信長は眉ひとつ動かさずに即答した。
「その根拠は」
「ない」
「それでは——」
「北近江浅井は、三代にわたって朝倉との関係がふかい。徳川はそれ以上に今川と関係が深かった。浅井家中には朝倉の縁者も多い。事情は徳川とよく似ておる」
「重々承知に候」
「『浅井を疑え』は、『徳川を疑え』にひとしい」
「いかにも」
「長政には、『底付き』から抜けだした経験がある」
「とは?」
「誰からも裏切られ、弟を殺し、母を追放するような、生きながら死んだような思いをすることだ」
信長は、尾張国主の家督を相続してからしばらくのあいだ、家中を二分する騒乱と謀反に再三悩まされた。
異母兄には一度謀反をくわだてられたものの露見させて罪をゆるした。同母弟は二度、しかも信長の生母もくわわって謀反をおこした。信長は実弟を殺し、生母を追放し、かつぎあげた柴田勝家や林通勝らの重臣をゆるした。
浅井長政もまた戦国武将の例にもれず、家臣団の騒乱に巻き込まれた。謀反をおこす側になって実父・浅井久政を追放して浅井家中をまとめあげた。
「家康殿にも、ある」
「承知のとおり」
「だからだ」
信長は、家康の目をみすえた。
「あの『底付き』の苦しさは、経験したものしかわからん」
「たしかに」
だからこそ心をゆるせる、というのは、家康にもわかる。
ただし、家康はそれゆえに「どれほど信頼している人間でも裏切る弱さがある」と学び、信長は「決して他人は信じない。ただし、信じるときは徹底的に信じる」と学んだ。
似たような境遇におかれても、人は得るものが違う。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。