信長の危うい性癖

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎(かねがさき)の戦い(1570年)。徳川軍は、信長たっての頼みで織田軍とともに京都に留まっていた。しかし、いつまでたっても信長から出陣先が告げられない。具体的な指示がないままひとまず琵琶湖西岸を北上することになった。すると突然、家康の前に信長が現れた。


信長は数人の馬廻衆(うままわりしゅう)をともなっているだけで、紺色縅(おどし)の地味な具足ながら、髪は髷(まげ)をほどいていない。

 これでも家康は三河と遠江西半国の太守なので、見知らぬ誰かが来訪すれば取次が間にたつのだが、信長は三河衆には顔を知られている。それにしても信長の様子はいかにも無用心ではあるが。

「たぶん絵になると思ったが、やっぱりうまくいったがや」

 信長は、馬を寄せながらわらった。

「綺麗なもんやろ」

「いかにも」

 こたえながら、家康は自分の馬廻衆に目くばせをした。家康の馬廻衆はうなずくと、手綱を引いて場を離れた。

 信長は、怪訝そうにたずねた。

「なにゆえ、馬廻衆をとおざける?」

「なにゆえ、とは—」

 家康は当惑し、反応に困った。

 なにゆえもなにも、足利将軍の上洛命令を無視している越前朝倉義景を、討伐するためにあわせて三万の大軍をひきいている織田の総大将が、行軍の最中、もう一方の総大将の徳川家康のもとへ、前触れもなく馬廻衆だけを率いて隠密裏にあらわれたのだ。馬廻衆にも聞かせられないような、極秘事項の相談以外に、考えられないではないか。

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この連載について

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金ケ崎の四人 ー信長、秀吉、光秀、家康ー

鈴木輝一郎

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。 信長(37)部下全員置き去りで逃亡。 秀吉(34)殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。 ...もっと読む

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