すべてに嫉妬して苦しんでいた大学時代
こんな本を書いておいてアレですが、「二度と大学1年生には戻りたくない」という気持ちが、正直あります。なぜなら当時、私は「嫉妬」という感情に激しく苦しめられていたからです。
嫉妬は自分と他人を比べることによって生じる心の動きですが、当時の私は“比較地獄”とも言うべき状態に陥っていました。「あれか、お前は万物がライバルなのか」と誰かにツッコミを入れてもらいたいくらい、すべてを妬んでいた。
まったくついていけなかったフランス語の授業で平然と100点を取っていくクラスメイトを見ては、「浪人してやっと入学できた中堅校出身の俺と、現役でサクッと合格できちゃう進学校出身のみんなでは、生まれつきのIQが違うんだ!」「どうせ俺なんか下町の電器屋の息子だチキショー」と、親を恨みながら劣等感を募らせました(親ごめん)。また、オシャレな人や文化的な知識が豊富な人を見ては、「俺が近所の友だちとサッカーゲームばっかしてたとき、この人たちは膨大な映画や音楽に浸りながら見識を深めていたんだ!」「俺なんかミスチルばっか聴いててオシャレな音楽全然知らねえ!」と、これまで過ごしてきた時間すべてが無為に感じられ、何か取り返しのつかないミスを犯してしまったような気分に苛まれました(ミスチルに謝れ)。
その他にも、ライブに行けばミュージシャンに嫉妬し、映画に行けば俳優に嫉妬し、サッカーをやれば上手な人に嫉妬し、オシャレな人に嫉妬し、絵がうまい人に嫉妬し、料理ができる人に嫉妬し、お笑い芸人に嫉妬し、学食で女子と盛り上がる男に嫉妬し、複雑な家庭に育った人に対しても謎の嫉妬心を向けていました。もし自分が現代の大学1年生だったら、Twitterのフォロワー数が多い人や、SEALDs(シールズ)や有名ブロガーみたいな大学生に対しても激しい嫉妬心を向けていたことでしょう。想像するだけで苦しすぎる……。まさにトミヤマさんの言う「上下」で比較しちゃう人間の典型ですね。
上には上がいる。でも、下にも下がいた……
今さら勉強を頑張っても無駄。サッカーを頑張っても無駄。自分には才能もセンスも武器も個性もないし、何かをしたところで上には上がいる。そうやってどんどん卑屈をこじらせていった私は、「チキショー、もう俺には何もねえ!」とヤケになり、次第に飲んだくれたり授業をサボったりするようになりました。実家で夕方までごろごろ寝ていたり、友だちと学食でうだうだおしゃべりしたり。まさに学費の無駄としか言いようのない自堕落な生活に陥りました。
が、しかし。恐ろしいことに、こちらの“ダメ分野”もすでに激戦区でした。たとえば昼間っから飲み始め、そのまま翌朝まで飲み続けてずっと泥酔しているような人や、大学の授業にまったく行かず、バイト先で正社員以上に働いて月40万も稼いでいるような人が、うじゃうじゃいる。飲み方やサボり方が異次元のスケールで、ちょっと学校をサボっただけで「俺ってダメ人間だわ〜」と酔いしれていた自分が切なくなりました。世の中、下にも下がいるんですね……。
男性が男性だからこそ抱えてしまう悩みや葛藤に着目する「男性学」の研究者である社会学者の田中俊之さんによれば、男性が自身の「男らしさ」を証明しようとするとき、そこには“達成”と“逸脱”という2つの方法があるそうです。言い換えると「男はエリートかアウトローになることで自分のアイデンティティの確立を試みる」ということになるかと思いますが、勝つことも負けることもできなかった私は、そのどちらにも失敗した感覚がありました。
雑多な自分を丸ごと認めてあげよう
そして待っていたのは、「俺、めっちゃ普通じゃね?」という現実と向き合う日々でした。喉から手が出るほど個性が欲しかった人間にとって、これは屈辱以外の何ものでもありません。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。