信長の美意識 琵琶湖と小谷山で揺れる松明

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎(かねがさき)の戦い(1570年)。徳川軍は、信長たっての頼みで織田軍とともに京都に留まっていた。しかし、いつまでたっても信長から出陣先が告げられない。具体的な指示がないままひとまず琵琶湖西岸を北上することになった。


諸将に松明(たいまつ)をたてる場所が伝達されると、ほどなく松明がくばられた。

 出陣にかかわる経費は支給される給与や領地へのこたえであって、出陣した者の自腹が基本である。だからこそ、徳川の家臣団がしきりに「いつまでに帰れるのか」とたずねたわけであるが。しかも織田は兵站(へいたん)の現地調達が厳禁なのだ。

 たとえ松明であっても、徳川の割り当てぶん二千束となれば経費は馬鹿にならない。この松明の配給はありがたい。

 松明にはひとたばずつ、下手くそな字で書状が添えてあった。

「ごいりようなれば、きがねごむようにそうろう きのしたとうきちろう」

 —重宝されるわけだ

 家康が耳にするかぎりでは、木下秀吉は出世が早すぎて武家の教養を身につける間がなく、読み書きが苦手とのことであった。

 信長が「松明をたてろ」とひとこと言えば、たてる範囲や場所などを勘案して諸将に割り当てるぐらいの事務処理をするものは、人材豊富な織田にはほかにいくらでもいる。しかし、あれこれやりくりして松明を支給することまで気配りできるのは並たいていの知恵ではない。むろん、三万束の松明と

いっしょに自分の名前を売り込むところも、いかにも木下秀吉らしいが。

 いずれにせよ。

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金ケ崎の四人 ー信長、秀吉、光秀、家康ー

鈴木輝一郎

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。 信長(37)部下全員置き去りで逃亡。 秀吉(34)殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。 ...もっと読む

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