カズオ・イシグロ全作品」解説。あなたにぴったりの作品は?

京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う名著を選んでみた。カズオ・イシグロが祝! ノーベル文学賞! ということで特別編です。「カズオ・イシグロ全作品」を紹介します。あなたの失われた記憶も、私がいつか思い出したい記憶も、カズオ・イシグロが描いてくれる。だから私たちは、ずっと、イシグロ作品を読み続けてしまうんですよね。

 カズオ・イシグロが獲りましたね、ノーベル文学賞! おめでとうございます!! 何を隠そう私はイシグロ作品の大ファンなので、これを機にイシグロ全作品解説しちゃおうと思います!
 ノーベル賞記念、特別版です。

「物語を読むことは、どこかの、だれかの記憶をなぞることだ」—と、カズオ・イシグロ作品を読むといつも思います。
 あなたの失われた記憶も、私がいつか思い出したい記憶も、カズオ・イシグロが描いてくれる。
 だから私たちは、ずっと、イシグロ作品を読み続けてしまうんですよね。

①自分の人生、「これでよかったのかな」と思うことがある。
②正直、大人になりたくない。
③現実から逃避したまま、ずっと夢の中にいたい。
④パートナーに、どうしても言えない秘密がある。
⑤実は、子育てに後悔や不安が残っている。
⑥昔は、けっこう人気者だったんだけど……今は、平凡な大人。
⑦そろそろ人生の晩年が来て、どうしようかと思っている。
⑧忘れられない、忘れたくない記憶がある。

 はい、この8つのどれかに当てはまったあなた! カズオ・イシグロ作品を読みましょうっ。あてはまったものから、ぜひチェックしてみてくださいね。あなたは、どの作品から読みますか?






①自分の人生、「これでよかったのかな」と思うことがある。
『日の名残り』(The Remains of the Day)1989

「日本」という舞台に執心していたイシグロが、「ひとつイギリスものも書いてやるぜ」と腰をあげた小説(どっかのインタビューで読んだのだが、「イギリス人なのに日本を描くのがうまい小説家」みたいな評価だけじゃ嫌だと思ったらしい。負けず嫌いかよ)。結果的にこの作品で「ブッカー賞」というイギリスでいちばん偉い文学賞を獲ったんだから、イシグロの目論見は見事だったわけである。すごい。
 戦後のイギリスで、ある屋敷の執事が旅行に出かける。車を走らせながら、その旅行先で回想するのは、先代の主人との蜜月の記憶、父の面影、そして女中頭との淡い記憶……。
 正しさは、時代によって変わる。
 たとえばこれから先、AIが仕事をするようになると、自分がしてきた仕事は、実は「自分を犠牲にしてまですべき仕事ではなかったのではないか?」と思う人も出てくる……かもしれない。だけどそんな後悔を抱えても、私たちは生きてくしかない。
 カズオ・イシグロは、正しさを抱えて生きて、だけどその正しさが達成されなかった誰かの人生を、静謐な文章で語る。
 執事は知る。「自分が人生を賭けて大事にしてきたものは、本当は—意味のないものだったのではないか?」と。ーそのとき人はどうするのか?
 人は改心も反省も後悔も、簡単には達成できない。だからこそ、人生の記憶は美しい。


②正直、大人になりたくない。
『わたしたちが孤児だったころ』(When We Were Orphans)2000年

 私たちは、たとえ両親がいてもいなくても、すべからく孤児だったのだ。今はもう忘れてしまっているけれど、みんな、私たちは、孤児だったんだよ―。
 戦時中の上海を舞台に、「探偵」バンクスは両親の行方を捜しに行く。イシグロが書いた初の探偵物語と思いきや、結局「探偵」自身の記憶が信頼できないんだから推理小説にならんやんけ!! と全力でツッコミを入れたい。でもそこはやっぱりカズオ・イシグロ、探偵小説の体をなした「記憶の歪みと喪失」を描いた傑作小説であったのだ。
 大人になって、現実に立ち向かうことは怖すぎる。だからこの小説の主人公は、「物語」に自分の世界をつくる。探偵小説に出てくる主人公として生きる。だけどその「物語」が、いつしか現実に吞み込まれ、崩壊するときがやってくる—。
 大人になるのはこわくて、現実を知るのも本当はこわい。だけど大人にならなきゃ、時間は待ってくれない。私たちは、バンクスの記憶だけを頼りに、彼らの世界を辿る。自分自身が「孤児」だったころの記憶をどこかで反芻しながら。
 ノスタルジックで、少しだけセンチメンタルで、だけど残酷でグロテスクで。あなたは「世界が崩壊する瞬間」を、知っていますか?
 ちなみに私はハヤカワepi文庫に載っている古川日出男さんの解説が死ぬほど好きです。今まで読んできた解説の中で、一、二を争うくらい、好き。 


③現実から逃避したまま、ずっと夢の中にいたい。
『充たされざる者』(The Unconsoled)1995年

 長いけどいいんですよ、これ。読み終わったあとは、長い長い夢を見ていたような心地になる。
 あるピアニストが、演奏旅行で出かけた街で出会う、不思議な夜。そして想起される、数々の記憶……この『充たされざる者』の会話は、まるでピカソやらシュールレアリストやらが描いた絵みたいだな、と私はよく思う。よく分からないんだけど、いろんな角度から見ることができて、そのたびに形を変える、まるで万華鏡のような会話劇。
 初めて読んだ人は面食らうかもしれないけれど、美しい万華鏡を手にしたと思って、その「夢の時間」を楽しんでほしい。イシグロ上級者におすすめしたい一冊!


④パートナーに、どうしても言えない秘密がある。
『忘れられた巨人』(The Buried Giant)2015年

 ずっと「個人の記憶」をテーマにしてきたイシグロが、初めて「共同体の記憶」を扱った小説。国家や民族は、前に進むために、自分たちの過去の罪を忘れていく。だけど本当に、私たちは、みんなは、記憶から逃げきれることはできるのか―?
 人は、普段忘れた方がいいことを忘れたふりして生きている。
 たとえばパートナーとの間にどうしても忘れられないつらい記憶があったとして、でもそんなのいつまでも引きずってちゃどうしようもないから「忘れた」と思い込む。が、ふとした瞬間、忘れたと思っていた過去につかまる。
 その記憶は、本当に忘れてしまっていいのか? 国家や民族が前に進むためには、多少は自分たちのしたことを忘れていく。だけど本当に、それは正しいことなのか? 忘れないと、前に進めないのだろうか?
 政治的なことを彷彿とさせつつ、舞台は中世アーサー王伝説の時代、主人公たちは老夫婦。この小説に出てくる夫婦観はとってもロマンチックで、読んでて微笑ましい。
 個人的には、ここでちゃんと「政治的な記憶」というものに向かっていったことがノーベル賞につながったのかな~と思っている。いやしかしノーベル賞、よかったねえ。あーうれしい。とってもうれしい。


⑤実は、子育てに後悔や不安が残っている。
『遠い山なみの光』(A Pale View of Hills)1982年

 デビュー作。なのだけど、既に昭和の日本映画のよーな風格のある作品。何が上手いって、イシグロはデビュー当時から異様に会話がうまいのである。この作品も、要は「娘に自殺されてしまった日本人の母親」の、淡々とした会話と回想だけのお話なのだけど、読み終わったあとは古いモノクロ映画を見たような気分になる。
 子どもを育てる、ってほんとうに、世界でいちばん取り返しのつかない作業で、こわいですね。育てたことないけど。
小津安二郎とか好きな方が好きそうな小説。ぜひ。


⑥昔は、けっこう人気者だったんだけど……今は、平凡な大人。
『浮世の画家』(An Artist of the Floating World)1986年

 若かりし頃に一世を風靡したのに、戦争が終われば見向きもされなくなった画家が、自分の過去を回想する……というイシグロお得意の「記憶と後悔」をめぐる話。
 イシグロがくりかえし描く主題のひとつに「今は失われてしまった時代の美しい記憶がここにある、だけど、その記憶は、本当に美しかったのか?」というものがあるのだけど、『浮世の画家』は、その主題を戦後の日本を舞台にして描く。イシグロが昔母親から聞いていた長崎の記憶を小説にうつしとったという作品。
……人は、記憶を思い出に改竄する。それでも、人は思い出を持たずには生きていけない。「思い出はいつもきれい」と歌った歌手がいたけれど、きれいすぎる思い出を抱えて生きるのもつらい。
 だってどうしたって今と比較してしまう。
 きれいじゃない今も大切にして、生きていかなきゃいけないんだけど、ねぇ。


⑦そろそろ人生の晩年が来て、どうしようかと思っている。
『夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』(Nocturnes: Five Stories of Music and Nightfall)2009年

 これ私、すっごい好き!! 「音楽」と「人生の夕暮れ」が邂逅する短編集。
 コメディ要素あり、イシグロお得意の「信頼できない語り手」もあり、記憶の改竄あり。カズオ・イシグロの良さがすべて詰まったような、高級ビター・チョコレートを美しい箱に詰めたみたいな小説集なのである。
 しかしイシグロ作品の何が好きって、作者と作品の距離感がちゃんとある「品のよさ」だよな~と、この本を読むとつくづく思う。彼はとってもセンチメンタルな感情を描いてるんだけど、語り口を操作して抑制していて、甘ったるいセンチメンタル小説にはさせない。その品のよさが、エレガントで、やさしい。
 ユーモアがあって品がよくて切なくて、私は歳をとったらこの小説のよーな人間になりたいのである……(どういう感想だよ)。


⑧忘れられない、忘れたくない記憶がある。
『わたしを離さないで』(Never Let Me Go)2005年

 今まで読んできたあらゆる小説の中で、間違いなく、「いちばん」好きな小説。こんなにエピソードがぜんぶ粒立ってて、それでいて世界一切なくて、そんで言葉も記憶もロマンチシズムの具合もぜんぶ統率された小説、ないでしょう……。
 どうしようもない運命、変えられない結末—それは小説の中の彼らにかぎったことではない。私たちだって実は、「ヘールシャム」で育てられ、「親」との関係に悩み、そして世界に何かを「提供」して、そして風に吹かれた空っぽのビニール袋のように簡単に死ぬのである。
 この小説は、変わったSF設定に見えて、いたって普通の「現実の写し鏡」だと知るとき……私たちは、子ども時代、記憶、そして人生そのものの切なさを知る。
 人間の記憶は、どうしようもなく薄れていくし改竄されてゆく。それでも、記憶だけが私たちに残っている唯一の過去との遭遇だから、私たちは記憶を語り続ける。


 カズオ・イシグロは今生きている中ではいちばん好きな作家なのですが、彼の抑制されたロマンチシズムがもう、ほんとうに、私は、たまらないんですよね……。
 根っこはものすごくロマンチストなのに、それを作品中ではほとんど見せないで、ずっとずっと隠してぼやかしてユーモアでごまかして、だけど最後の最後でどうしようもなく「それ」が溢れ出る。その瞬間が読みたくて、私はイシグロ作品を読んじゃうんですよね。

あの人は、きっとヘールシャムのことをただ聞くだけでは満足できず、自分のこととして—自分の子供時代のこととして—「思い出したかった」のだと思います。使命の終わりが近いことはわかっていました。ですから、わたしに繰り返し語らせ、心に染み込ませておこうとしたのでしょう。そうすれば、眠れない夜、薬と痛みと疲労で朦朧とした瞬間に、わたしの記憶と自分の記憶の境がぼやけ、一つに交じり合うかもしれないではありませんか。
(『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫))

 これは『わたしを離さないで』の一節なのですが、これって結局カズオ・イシグロ自身の作品にも通ずる話だよなぁ、と私は思います。
 眠れない夜、苦しい瞬間に、「あのとき読んだ物語」が、私たちの記憶と、いつのまにか混ざり合っている—そういう瞬間のために、私たちは、ずっと、小説を読むのかもしれません。

最後に

 しかしこうして全作品並べてみて思うのですが、やっぱりカズオ・イシグロ作品は、ほんっとうに、翻訳がすばらしいんですよね……。
 土屋政雄さんの『わたしを離さないで』なんて、本当に、翻訳された言葉がうつくしくて、上質なんですよ。作品の邪魔をしない。原文の空気感がそのまま日本語になってる。
こんな素敵な作品を日本に持ってきてくれて、さらに最高の翻訳までつけてくださって、本当にありがとうございます、早川書房さま!!!!!
いやー文庫になってるって大きいよね……。大好き、ハヤカワepi文庫……。

 そんなわけで、イシグロ作品は、どれをとっても本当におすすめです。あなたとカズオ・イシグロ作品が、素敵な蜜月を迎えられますように。



カズオ・イシグロ作品の書評も収録! 人生を狂わすブックガイドです。

この連載について

初回を読む
三宅香帆の文学レポート

三宅香帆

『人生を狂わす名著50』(ライツ社刊)著者、三宅香帆による文学レポート。  ふと「いまの文学の流行りをレポート」みたいな内容を書いてみようかなと思い立ちました! なんとなく、音楽や映画だと「ナタリー」みたいな流行をまとめる記事っ...もっと読む

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コメント

0_K0_K 「わたしを離さないで」は映画で見たけど小説で読んでみようかなあ。 5ヶ月前 replyretweetfavorite

fsutututt カズオイシグロを読みたくなる最高の記事 https://t.co/BocoaNqXZz 9ヶ月前 replyretweetfavorite

passepartouuuut 三宅さんの書評本に「悪童日記」を読んだ方におすすめする「次の本」として「わたしたちが孤児だったころ」があげられていて、「第三の嘘」を読んだら読んでしまいそう。そしてepi沼にはまっていきそう…でもすごく楽しそうepi沼。 https://t.co/FI4cJe4Orb 12ヶ月前 replyretweetfavorite

emotojuri こないだ読んだ『わたしを離さないで』が人生ベスト級だったので今年で全制覇したい。 約1年前 replyretweetfavorite