名を残したい。たとえそれが悪名でも

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎(かねがさき)の戦い(1570年)。信長たっての頼みで、徳川軍は織田軍とともに京都に留まっていた。しかし、いつまでたっても信長から出陣先が告げられないまま数日が経過。その間、家康は同じく待機中の明智光秀を訪ねた。


「諸国放浪の牢人ぐらしは、なかなかに難儀なものでございました」

 明智光秀は家康の目から視線をはずそうとはしなかった。

「野に宿をとるときは蛇をくらい、川べりに宿をとるときは鮎に槍を刺し、火をおこして食する。人間、いざとなればたいていのことはできますな」

「べつだん、ふつうに身ぎれいにしておれば、そこそこの生活の方途はあると思うが」

 戦国である。人命は軽いが、仕官の場所にはことかかない時代であった。

「修身斉家治国平天下(しゅうしんさいかちこくへいてんか)」

 光秀は即答した。『大学』の一節である。天下をおさむるには、まず身をおさめ家をおさめよ、という。

「野にあって鉄砲で猪をしとめ、それで得た銭で書をあがない、身をおさめた次第」

—にしても光が当てられるのがいかにも遅い」

「それが天命でありましょう」

 光秀は、家康から目をはなさない。

「拙者は、ある日突然初老の文武兼修の輩として生まれたわけではござなく候。これまで、誰にも知られず、誰にも振り向かれず、ただただ運あるときを信じて極貧をしのぎ申し候。天は備うる者を好む、と申すとおり、きわめて遅咲きながら、ようやく花がひらき申した」

「木下殿は、明智殿とは逆に若いころから異例の出世で難儀しておる」

 こんどは家康が光秀の目をみた。

 前歴がわからないのは、隠しているわけではなく、誰も認めてくれなかったからだ、と光秀はいう。話の筋は通っているが、矛盾している。

「木下殿のように、昔から信長殿につかえておられるのがわかっている御仁でも、出世が早すぎてねたまれる」

 そう、これほど光秀が、家臣団に信頼されるのがおかしい。

「明智殿は美濃の出だとおっしゃる。ならば、ながらく出奔していた朋輩が、ある日突然、将軍様の直参でございと表に出て、美濃衆と軋轢がないのはなにゆえか」

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この連載について

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金ケ崎の四人 ー信長、秀吉、光秀、家康ー

鈴木輝一郎

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。 信長(37)部下全員置き去りで逃亡。 秀吉(34)殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。 ...もっと読む

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marekingu #スマートニュース 約3年前 replyretweetfavorite