この男に小手先で隠し事をしてもしかたない。家康は素直に降参した。
「ある日突然、足利義昭の直参でございと織田のもとをおとずれ、そして将軍宣下の勅令がおりて一年を待たずして義昭将軍の命を救う、という空前の武功をたてた。その際に、兵法や武芸、武略のほかに鉄砲まで使ったことも知っている。そのほかに細川や一色にまさるとも劣らぬ文学のたしなみもあるときいておる」
「文学のほうは、いささか買いかぶられすぎでございますが」
「それほどまでの技量を、いつ、どこで身につけられた?」
「放浪時代」
「明智殿ほどの器量人ならば、望めばいかなるところでも仕官がかなったのではないか?」
「拙者もみずからをたのむところ大でありましたが、どうも世間はそうではないらしく」
すこし、光秀は眉をひそめた。家康は、痛いところを突いたらしい。
「拙者の知るかぎり、木下殿も織田家中では出自はあまりくわしくは知られておられぬ模様に候」
「いいや。本当に信長殿の雑人をやっておった。わしが織田に二年ほどいたとき、木下殿は草履を小脇にかかえて信長殿の馬のまわりを走っておった」
「そのとき木下殿はなんと呼ばれておられたか、おぼえておられますか」
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