63歳でチアダンスチームを作るまで。 私の半生を駆け足で(1)

「何歳からでも人生は楽しくできるのよ!」
滝野文恵さんがシニアダンスチーム「ジャパンポンポン」を立ち上げたのは63歳のとき。 85歳になる現在も現役で、華麗にステップを踏み、ターンを決める。 「やりたいことをやって人生を楽しみましょう」と毎日を楽しくアクティブに送る滝野さんの、半生を駆け足で振り返ります。


広島生まれの関西育ち

 私は1932(昭和7)年1月15日、広島県の福山市に生まれました。4人きょうだいの3番目で、姉と兄、弟がいます。父は長野県の木曽の出身で、大阪に出て新聞配達をしながら大学の夜学に通い、卒業後はシンガポールで働いていました。
 シンガポールの父のもとへお見合い写真が3枚送られ、選んだのが母だったそうです。帰国した父は、広島で外資系ミシンメーカーに就職して役職につくまでになり、その頃、私が生まれるわけですが、会社に内緒で貿易をしていたのがバレて退社。一家で大阪に移ります。
 大阪で父は、当時としては珍しい即日仕上げで写真を現像する会社を興し、 市内に数十店舗の窓口受付を展開するまでに事業を広げていました。

 しかし、戦争の足音は確実に迫っていました。女学校では、校庭の痩せた土を耕してイモを植え、細いおイモさんを収穫したのを覚えています。
 14歳のとき、父一人を大阪に残して長野県の善光寺さんの近くに疎開。疎開先でも高等女学校に通っていましたが、時代が時代です。学校へは行かず、毎日、小さな工場で戦闘機の部品作りをしていました。  1945年8月12日の大阪空襲で住まいと工場の入った3階建てのビルが全焼してしまい、父もカバンひとつで長野へと逃げてきました。
「ここも危ないから、もっと奥へ」と、家族で木曽のほうに行ったのが8月15日。そこで終戦を迎えます。
 父はその翌日には家族が止めるのも聞かず、単身大阪に戻っていきました。 「英語がわかるから絶対に大丈夫」という言葉どおり、進駐軍向けの写真店で現像をして、会社の再建にとりかかったのです。
 私たち、家族が大阪に戻ったのは約1年後。私は女学校の最終学年でした。

 通っていた女学校は、戦後に失火で校舎が焼けてしまい、授業は午前と午後の二部制で、大きな講堂に生徒たちをぎゅうぎゅうに詰め込んで行われていました。私はこれ幸いと、毎日のように代返を頼んで、授業をサボっていました。
 世間では「あのうちの娘は不良だ」なんて言われていたみたいですが、かわいいものです。学校をサボって、宝塚に通っていたんですから。

 宝塚が大好きだったというよりも、私が疎開している間に友だちが宝塚にハマって、それにひきずられていたのかな。
「あなた、もう熱冷めたの?」
「いや、冷めてない!」
「じゃあ、行こう!」
 互いにそれを証明するために、誘い合わせて行くわけです。学校をサボって、親のお金を盗んで。やっぱり、不良だったのかもしれません。

乗馬がしたくて大学へ

 両親は「文恵はこのままだったら大変だ」と思ったのでしょう。卒業を控え、「これで勉強とおさらば!」と浮かれている私に、「とにかく進学してくれ」と懇願するのです。あまりに必死なので、そこまで言うならと、お小遣い増額などの条件をつけて、専門学校へ進学することにしました。
 その専門学校は1年後、短期大学に変わり、短大2年生のとき、たまたま知り合いの人に乗馬に連れていってもらいました。はじめての乗馬は、もう楽しくて! 楽しくて! 
 私は、「これだ!」と思ってしまったのです。
 馬場に関西学院大学の学生が練習に来ているのを見て、馬に乗りたいがために、編入試験を受けることにしたのです。編入試験にどうして合格できたのかは今もって謎ですが、家柄のいい娘さんは「高学歴だと婚期を逸する」と進学しなかった時代です。女子の希望者が少なかったのが幸いしたのかもしれません。

 馬に乗るために入学したわけですから、勉強などするはずがありません。
 ラテン語は教授のお目こぼしで単位をもらい、法科にいたっては、試験で落とした単位を先輩に取りなしてもらって、教授に袖の下のケーキを贈って卒業を果たします。ホント、いい時代でした。

アメリカに留学し、アメリカかぶれのおごった女の子に……

 無事(?)に大学を卒業すると、今度は父が「これからは女も自立しなくてはいけない」と、アメリカ留学をさせてくれました。
 これも、「留学」という名の「遊学」。最初はミシガン大学に行ったのですが、英米文学のクラスは日本人ばかりで、下宿先には日本人が3人もいました。日本語でおしゃべりをして、しかも、みんな、勉強ばかりしているわけです。

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85歳のチアリーダー

滝野文恵

「何歳からでも人生は楽しくできるのよ!」 滝野文恵さんがシニアダンスチーム「ジャパンポンポン」を立ち上げたのは63歳のとき。85歳になる現在も現役で、華麗にステップを踏み、ターンを決める。「良妻賢母」の枠にとらわれて苦しんだ時期を乗...もっと読む

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コメント

ThizChiz チアダン の共演者もジャパンポンポンみたいに、シニアなってもチアダン の絆続いてほしいね。 個人的にドラマにしたかったのは、わたしの場合 ジャパンポンポンでした https://t.co/h6DRyJYSC6 約2年前 replyretweetfavorite

marekingu #スマートニュース 約3年前 replyretweetfavorite