アタシと伊東四朗さんの話になると必ず『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』と『笑って!笑って!!60分』の「デンセンマン」や「しらけ鳥」や「小松の親分」の話になるんだけど、実はたかだか2年半ぐらいの時間なんだよね。でもいまだに50歳ぐらいのお父さんに、「小松の親分!電線音頭、子供の頃コタツの上で踊ってました」ってさ、デンセンマンと小松の親分は別の番組だよ、なんて思うんですけど、うれしいもんですよね。
そんだけアタシと伊東さんは濃い時間を一緒に過ごして来た。だってあん時は週に4日一緒にいたんだもん。同じ時期の欽ちゃんやドリフターズのお笑い番組は気にならなかったんですか?なんてよく聞かれるけど、ゼ~~~ンゼ~~~ン気にならなかったの!だってよそ見するヒマがないほど追い詰められてたもん。アタシたちは最前線の戦場行ってコメディーって武器で面白いコトに命賭けていたんだもん、あの異常な時間は2人だけしかわからないだろうね。うん、わからない。
え、2人はコンビだったんでしょ?って思っている人があんまり多くて逆に年月を感じちゃうんですけど。伊東さんは戸塚睦夫さんと三波伸介さんと組んだトリオ漫才「てんぷくトリオ」の一員で、初めての出会いはTBSの昼のお笑い番組『お笑いスタジオ』。だから1970年ですよ。伊東さんは今でいうお笑いオタクでね、東京中の演芸場やストリップ劇場のコントを片っぱしから観ていた。とりわけ新宿のフランス座に出ていた、戸塚睦夫さんと三波伸介さんのファンで追っかけ状態。「おう、ちょっと舞台出てみるか!」って、三波さんたちに声かけられてトリオ組んだのが「てんぷくトリオ」。伊東さんはマジメで研究熱心な人でね、”のぼせもん”(博多弁で夢中になる人のこと)のアタシと妙に気が合ったことを覚えてますよ。戸塚さんが急にお亡くなりになって、てんぷくトリオは活動休止状態になったんだけど、三波伸介さんは『笑点』の司会者とかで大忙しになって、伊東さんはアタシと番組で「お!ジョーズ」ってコンビ組んでコントやりだしたの。コレがウケてさ、伊東さんのたまっていた何かとアタシのたまっていた何かが化学反応を起こし始めた頃だったんでしょうね、2人でいろんな番組に呼ばれましたよ。
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