「——そうだわなあ」
余談ながら。
徳川家康が織田信長の生前、秀吉と組んで戦ったのは、羽柴時代をふくめても金ケ崎、姉川、長篠、三度しかない。もちろん、秀吉は西国攻めを中心に、家康は駿河・甲斐攻略に専念していて接点がすくなかった、といった事情もある。
だが、徳川と織田は同盟関係にあり、ともに助勢をしあう関係にある。佐久間信盛は幾度となく三河に出張しているのだ。なにがしかの意思なり意図なりが、そこにはたらいているとみるのが妥当であろう。
「徳川様!三河守様!」
秀吉は、家康の姿をみとめると、馬に鞭をあてて駆け寄ってきた。
「ご教練、ありがたく存じもうしまする!ごらんのとおり、われら木下の者一同——」
家康も小柄だが秀吉も小兵(こひょう)である。けれども声はおおきく、よく通る。
「みな、せいいっぱい備えておりまする!どうか、褒めてやってくださりませ!」
これの、どこをどう褒めろというのか。家康は秀吉に追従をならべる立場ではない。ただ、あなどって信長の機嫌をそこねる必要はない。
「もし、織田とともに合戦することがあらば——」
すこし、言葉をえらんだ。
「『木下殿』と組みたいものだ。『木下殿』はまれなる器量人である」
「ありがたきお言葉に候!一同、聞いたか!」
秀吉は、馬の首をかえして、木下隊ぜんたいに向かって全身でよろこんだ。
「徳川三河守様が、褒めてくださったぞ!一同、胸を張れ!」
本多忠勝が眉をひそめ、家康をみた。
「——御屋形——」
「噓はついておらぬ。木下殿ひとりとは組んで戦いたいが、あの兵卒(へいそつ)とは組みたくはないわい。木下殿がまれなる器量人なのはたしかだしの」
秀吉は、織田家中では、孤立しているのだ。あれだけ出世が早ければ、同僚やかつての上司、いまの重臣たちから、ねたみそねまれる。
家康は秀吉の雑人時代を知っているが、特段嫉妬の感情は持っていない。理由は単純で、嫉妬するほどの接点がなかったからだ。
過酷な人質時代を送り、家臣団からも孤立している家康には、そういう孤独と孤立はよくわかる。つい情をおなじくしたくなるではないか。
「わしは噓はついておらぬ」
もう一度、家康はじぶんにいいきかせるように言った。
それがどれほど高くつくことになるか、もちろん家康は知らない。
六 信長昇進拒否
永禄十三年(一五七〇・元亀元年)、四月十八日、夕刻。洛中徳川家康本陣。
徳川家康は就寝前、服部半蔵からの報告に驚愕した。
「信長殿が朝廷からの官位宣下(せんげ)を辞退なされた、だと?」
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