第3章 笑顔/涙 と 偶像/実像
1994年の正月も、SMAPは日本武道館で単独コンサートを行っていた。
あの涙のファーストコンサートから4年、SMAPはお正月に日本武道館に立つことが毎年恒例のイベントとなっていたのだ。
しかしこの年は内容が際立っている。
初年度に1日3回公演だったライブは、2年めに1日5回公演に、3年めは1日4回公演に減るものの、4年めの1994年はついに1日6回公演。
しかも彼らは前日に紅白歌合戦へ出場しているため、翌朝のライブ本番はほとんど寝ないまま迎えることになる。
朝の9時30分から1時間15分の公演と45分の休憩を計6回。まだ平均年齢20歳の彼らもさすがに後半になると腕がだるくなり、マイクを持つ手はしびれ、足が上がらなくなる。
それでもリーダーの中居は健気に答える。
「むちゃです。でも、ステージに立って音が流れ、喚声がわくと疲れが吹っ飛びました」
もっともこの時の彼らには無茶でも歌い踊り続ける理由があった。
『$10』の勢いを逃さず、この年の元日に発売した『君色思い』は、初めて初週だけでCDセールスが10万枚を超えていたのだ。
そして1994年3月、満を持してリリースされた『Hey Hey おおきに毎度あり』で、SMAPはついに待望のオリコン初登場1位を獲得する。結成から6年、それはデビューから12作めにしてついに掴んだ人気アイドルの証である。
しかし当のSMAPはというと、苦節の喜び以上にとにかく驚いていた。
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