—エリ先生の哲学授業 第2回「デカルトと方法的懐疑」後編—
ひろ でも!! 「方法的懐疑」の意味はわかっても、結局真理というか、疑えないものがなんなのかがわかりません。見るもの全部「見間違いかもしれない」って疑うし、聞くものも全部「聞き間違いかもしれない」って疑うんでしょう?
エリ そうよ。匂いも、味もね。あんたのバイト先で料理を食べた客が「美味しい」「いい香り」と感じても、それも絶対確実な真理ではないはずよ。疑いの余地は十分ある。
ひろ 失礼な! うちで出している肉はA5ランクの国産黒毛和牛なんですよ? 美味しさに間違いはないと自信を持って言えますよ!
エリ その黒毛和牛にも疑いの余地は十分ある。
ひろ そうそう。A5ランクの国産だなんて言ってるけど、実はアメリカ産の安い肉なんですよね。注射器で牛脂を入れればきれいな霜降りができるし、それで薄切りにしちゃえば全然国産と見分けがつかなくてみんな見事に騙されるんですよねってほんとに失礼だなっっ!!! そんなことはない!!! うちは食品偽装なんてしてませんから!!!
エリ たとえあんたはそのつもりでも、あんたが店から騙されているという疑いの余地はある。あんたの店がそのつもりでも、あんたの店がそもそも業者に騙されているという疑いの余地はある。業者がそのつもりでも、そもそも業者も牛に騙されているという疑いの余地はある。牛だと思って育てていたものが実は本物の牛ではなく、何者かによって人工的に作られた哲学的ゾンビ牛かもしれないんだから。
ひろ そんなこと言ってたら、本当に疑えないことなんてなにもないじゃないか。
1+1という計算は本当に正しいのか?
エリ そうやって、デカルトはあらゆるものを疑ったの。「1+1=2」という計算すら、「神様が自分を騙して1+1=2であると思い込ませているのかもしれない」と疑ったの。
ひろ どういうこと!? 思い込ませるもなにも、1+1=2じゃないですか! どう考えたってこれは間違いようがない!
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