村上春樹の読み方『風の歌を聴け』中編

新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)が早くも100万部に迫る売上を見せる村上春樹。日本だけでなく国際的人気作家になった村上春樹を、finalventさんが初期作から新たに読み解くシリーズの第二回は、デビュー作『風の歌を聴け』(講談社文庫)の中編。アメリカ文学の模倣や、正直に語るために取られた正直でない方法など、本作に被さった殻をひとつずつ取り除いていきます。

『風の歌を聴け』を整理する方法


風の歌を聴け 講談社文庫

 本書を読み解く一解法としては、逆に一見正直に見える手法であったならこの小説はどうなっていたかを想定してみるとよい。いわゆる普通の小説のように再構成してみるのだ。

 ジグソーパズルのような断章からなるこの小説を、時系列に、ありがちな小説のように再構成すると、大きく分けて4つの物語が浮かび上がる。

 一つ目の物語は、この作品が書かれている29歳の1978年の今、あるいはその今に近い物語である。主人公はすでに凡庸な結婚をしているとされ、「鼠」と呼ばれる親友も30歳で小説家を目指している。

 残り三つの物語は1970年を基点とした過去に所属している。その一つが、「この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わる」物語である。

 この第二の物語では、東京の大学に進学した主人公が夏休みに、神戸とみられる街に帰省した期間の出来事が記されている。この物語は小説内の配分からすると、あたかも小説のメインに見える。だが結論から言えば、それがこの小説の一番の偽装である。

 なぜか。ではこの物語から洗い直そう。この第二の物語は、さらに二面から構成されている。一面はバーで酔いつぶれた若い女性と主人公の交流である。もう一面は何かに悩んでいる「鼠」と主人公の対話である。

 さらっと読んでしまうと、二面はただ時期的に重なるだけで、主人公の経験を除けば、意味的には関連の薄い並行した話に見える。だが、少しだけ注意深く読めば、二面には関連が深いことを示唆する、いわば謎解きの鍵が鏤められていることがわかる。謎解きとして読めば、親切なことに解法は複数存在することもわかる。この謎はごく普通のレベルのパズルにすぎない。推理小説にさえならない程度の謎だ。

 試しにごく簡単に解いてみよう。主人公はバーで倒れていた女を自宅に運んだ後も、眠るその女を一晩見守った。なぜその女の自宅の場所がわかったかというと、女の所持品である葉書に書かれた住所を頼りにして知ったからだ。目覚めてから自宅に運ばれた経緯を聞き、葉書が読まれたと思った女は主人公に問いただす。

「葉書は?」
「バッグの中に入っているよ。」
「読んだ?」
「まさか。」
「何故?」
「だって読む必要なんて何もないよ。」


 主人公が嘘をつく理由は何もない。だから主人公は葉書の裏面に書かれているメッセージは読んでいない。読めば彼女の人生に関わることになる。他者との関係で傷ついている主人公は、そのように他者に関わることはしない。

 だが、こうは言える。葉書の宛先を読んだ人間がその差出人を読まないということがあるだろうか。ない。主人公は差出人を知っている。

 この差出人は「鼠」だ。その謎を解く鍵も用意されている。女は自分の泥酔の理由を知られたくないこともあり、朦朧とした意識で何か言ったかと主人公に問いただす。自動車で彼女の職場に送る際のことだ。

「ねえ、昨日の夜のことだけど、一体どんな話をしたの?」
車を下りる時になって、彼女は突然そう訪ねた。
「いろいろ、さ。」
「ひとつだけでいいわ。教えて。」
「ケネディーの話。」
「ケネディー?」
「ジョン・F・ケネディー。」
彼女は頭を振って溜息をついた。
「何も覚えてないわ。」


 女は、実際にはうわごとのように泥酔しながら主人公に何かを語り、それを主人公は聞き取った。だが、それを彼女に直接伝えることはしていない。彼女の心を傷つけることにもなるし、彼女に必要以上に関わることになるからだ。代わりに、「ケネディー」が持ち出される。

 この小説では「ケネディー」という記号が不必要なまでに繰り返され、それがこの物語の謎を解く鍵であることが強調されている。ここより前の章では、鼠が自分ならこういう小説を書くとして、沈没した船から太平洋に放り出された男女の話をしている。その話は鼠がその時点で悩んでいる彼の恋愛の比喩である。鼠は同じ話を恋人に語る。その恋人が泥酔した女と同じ人間かは明示されないが、その会話の結末は「ケネディー」という記号になる。『風の歌を聴け』の主人公は、鼠が語る物語の内部の記号として「ケネディー」という記号を覚える。

「ケネディー」という記号からわかる本書の主題

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