本多忠勝(ほんだただかつ)や酒井忠次(さかいただつぐ)、服部(半蔵)正成らの重臣とともに朝の軍議をすませると、ころあいをみて小姓(こしょう)が軍議の机に食膳をならべてゆく。今朝は飯に味噌汁、菜花のひたしたもの、大根の煮つけ。あと干鰯。徳川の食事としては、かなり贅沢なものである。
「さて、食うか」
家康が汁椀を手にとると、同席した重臣たちも箸をとった。
そのとき。
「ええ匂いヤナ」
本陣の陣幕をはねあげて——
織田信長が入ってきた。
「立たずともよい」
総大将の不意の来訪に家康の家臣たちが床几(しょうぎ)から立ち上がろうとするのを、信長は手で制した。あたりまえだが、ここにいる重臣たちは全員、織田信長とは面識がある。
「腹が減った。朝の馬攻めを終えたところで、飯を食いにきた」
信長の乗馬好きは徳川家中でもよく知られている。みれば信長は三十七の男盛りの年齢だというのに、まるで元服(げんぷく)前の子供のように、小袖(こそで)のもろ肌脱ぎに尻はしょりという軽装である。
「では、さっそく膳をご用意つかまつる」
「要らぬ。飯ならならんどるだろうが」
信長は服部半蔵正成の隣に立ち、その汁椀を手にとって、ひとくちすすった。
「うまい」
信長は家康よりも八歳年長で、家康が織田信秀の誘拐人質時代には周囲の目を気にせず、なにくれとなく訪れては家康の面倒をみてくれた。けれどもこと行儀作法に関しては、家康が尾張に誘拐されていたときから、ほとんど成長していない。
家康は苦笑しながらつげた。
「信長殿、どうせならば陪臣(ばいしん)の食いさしより、拙者の食膳になされてはいかがか。まだ手をつけておりませぬゆえ」
「食いさしなら毒は入っとらん。政事に不満があるなら、主君の飯に毒をいれるのがいちばん手っ取り早いから、家康殿の膳はちとこわい」
信長のひとことで、徳川伊賀者棟梁(とうりょう)の服部半蔵正成は顔面を蒼白にして唇をかんだ。暗殺と諜報は伊賀者の仕事である。織田の総軍洛中待機の真意がいまだにつかめないどころか、総大将・織田信長の居場所さえ把握できずに不意の家康本陣をゆるした。服部半蔵の大失態である。
そして、同席した重臣のひとり、本多忠勝が顔面を真っ赤にそめたのが、家康にはわかった。
本多忠勝が、怒りをおしころした声で告げた。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。