家康が関心した秀吉の◯◯力

どうして、こんな奴らが天下を獲れたのか!? 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。信長(37)→部下全員置き去りで逃亡。秀吉(34)→殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。光秀(55)→経歴不詳。家康(29)→カンケイないのに絶対絶命 !迷走の果て、奇跡の決断ーー。2017年秋、27時間テレビ(フジテレビ系)でドラマ化! 「僕の金ヶ崎」(脚本:バカリズム/主演:大杉蓮)原案。


今朝の話にもどる。

 家康はもろはだを脱いで、刀術の稽古をしていた。

重臣たちをあつめて、その前で、だ。軍議の前の儀式のようなものだ。

 高さ五尺、親指ほどの太さの笹竹を地面につきたてる。そのてっぺんに、黄金色に実った麦穂をくくりつける。そして抜刀(ばっとう)し、切りおろし、あるいは切りあげて、麦穂から麦の実だけを刀の切っ先で削ぐのだ。

 戦国時代、家康のような国主はもちろん、騎馬武者でも、こうした武術については「武芸」として軽べつする傾向にあった。江戸時代、武術が武士の必須科目となったのは、開祖徳川家康が武術の名手だったからという理由でしかない。

 ただし、どんな芸でも群を抜けば尊敬はされる。家康の武術、別して刀術は並の腕ではない。重臣たちの緊張感を保つ役割にはなる。

 家康の幼年時代が幼年時代である。

 ふつうの戦国武将は、政治の不始末や敗戦の責任をとらされて死をえらばざるをえないことはあっても、直接、命の危険にさらされることは滅多にない。桶狭間の合戦で今川義元が首をとられたのが喧伝(けんでん)されたのも、総大将が合戦の現場で落命することがめずらしいからだ。

 人質としてあずけられる途上で誘拐された子供を、守ってくれる者がいるわけがない。自分の身は自分で守らなければならなかった。そんなとき、いつも身につけている手近な武器といえば刀で、家康は必要にせまられて刀術に長ずることになった。流派は奥山新陰流(しんかげりゅう)。

 さて。

 家康は、刀を八双(はっそう)にかまえた。笹竹との間合いをはかる。

 刀は武器としてはあつかいにくい。刀身(とうしん)の先、三分の一ほどの「物打ち」とよばれる場所でなければ物は切れない。

 足を六方(ろっぽう)にかまえ、目を半眼にし、呼吸をととのえる。すり足で笹竹にあゆみより、そして肩の力をぬく。

 間合いをみきわめたところで、しずかに切っ先で弧をえがき、裂帛(れっぱく)の気合いとともに切り上げた。

 できた。

 刀の切っ先が天空をさすと、麦の実が穂から離れて空を舞う。そして笹竹は微動だにしなかった。

 今日も落ち着いてできた。

 夕方までになにがおこるかわからない。ただ、今だけはうまくいった。いまだけでいい。

 そのとき。

「おみごと!」

 刀の構えをといて振り返ると、秀吉がいた。

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金ケ崎の四人 ー信長、秀吉、光秀、家康ー

鈴木輝一郎

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。 信長(37)部下全員置き去りで逃亡。 秀吉(34)殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。 ...もっと読む

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