映画監督としての評価、認知度ともに日本のトップへ登りつめた感のある、是枝裕和。彼の発表する最新作が『三度目の殺人』である。福山雅治、役所広司、広瀬すずといった人気俳優を揃え、サスペンスフルな法廷劇が完成した。
食品加工工場の社長を殺したかどで起訴された男性、三隅(役所広司)。彼の弁護を担当することになった重盛(福山雅治)は、三隅の前科を考慮すれば死刑判決はまぬがれないと判断した。弁護士として死刑だけは避けたいと考える重盛は、目標を無期懲役に定めて調査を開始する。調査の過程で、重盛は被害者の娘、咲江(広瀬すず)と出会い、話を聞くが、彼女は「誰にも言えない秘密」を抱えていた。三隅と出会うまでは、すべては仕事だと割り切り、ドライな態度で弁護にあたってきた重盛だったが、彼は初めて真実に迫りたいという真摯な気持ちを抱く。
本作では、苦しむ他者へ対して何ができるか、困難な状況にいる他者へどれだけ力になれるかといった「他者への共感」がひとつのテーマとなる。『三度目の殺人』の主要人物、三隅のもっとも特徴的な性格は、その深い共感の精神であるためだ。共感の度合いとは人によって大きく異なるものである。他者の痛みに対して親身になり、共感するとはどのようなことか? SNS時代になり、さまざまな投稿を日々眺めていると、他者の苦しみ、社会の理不尽に対して共感する度合いは本当に人それぞれなのだと再認識させられる。私自身、それなりに共感の気持ちはある方だとおもいたいが、ことによると薄情な人間の部類に入るのではないかと自問してしまうほどだ。
他者への共感や同情のむずかしさは、誰しもできることに限度があり、相手に対して割ける時間や労力が限られている点だろう。出会う人すべてに共感していては生活がままならない。不本意ながら自分の暮らしで精いっぱい、という人がほとんどだ。ことほどさように、ていどの差こそあれ、苦境に立つ他者を見て見ぬふりしなければ生きていけない状況が発生してしまう。苦しむ人びとは気の毒だとおもうが、それはそれとしてひとまず措き、まずは自分の生活を成り立たせなくてはならない、とみずからに言い聞かせながら──。
たいていの人は、社会生活を営めるレベルの鈍感さを備えているが、なかには他者の苦境へとても強く共感してしまい、結果として道を踏み外す者がいるかもしれない。三隅には、犯罪者としての獣の部分と同時に、不正義を憎む心や繊細な優しさが共存している。彼は共感のバランスが崩れた結果、見て見ぬふりがどうしてもできず、犯罪者となったのではないのか。接見室で三隅と対峙する重盛は、この犯罪者の穏やかな佇まいに魅入られるように、彼との対話を重ねていく。
「本当は何で殺したとおもってるんですか。本当のことには興味ないかな、重盛さんは」と問いかける三隅。職業として弁護士を選んだ重盛にとっては自明の問いである。たしかに重盛は「本当のこと」に興味がない。かつての重盛は、事件の真相や犯罪者の人間性にいっさいの興味を抱かず、エリート弁護士として法廷戦術を駆使し、勝つことにのみ汲々とする男だった。