草彅は思ってしまった。「なんかもう、僕らムリかなって」

28年間のSMAPの活動とその思いを、数々の言動から振り返り、幼少期から三十代に至るまでのファンの女性の28年の歴史と共に纏めあげ、「アイドルとは、ファンとは何か」を問い直すアイドルとファンのノンフィクション書籍『SMAPと、とあるファンの物語』。本書を公開する連載、10回目。盤石のスタッフ陣を揃えテレビ界ではバラエティへ舵を切ったSMAP。しかし、過酷な現実は緞帳が開いたその先に待っていた――。

 しかし頼まれた方のフジテレビ、人気バラエティ「夢で逢えたら」の後枠を引き続き担当することになっていたプロデューサーの佐藤義和も、最初から必ずしもSMAPの起用に乗り気だったわけではない。

 むしろ彼のそれまでのポリシーは、「アイドル系のタレントを否定してバラエティ番組を作る」というものだった。

 実は1948年生まれの佐藤はちょうど思春期に、「シャボン玉ホリデー」、そしてあの「夢であいましょう」を見ている。

 そして「シャボン玉ホリデー」における歌と笑いの融合、「夢であいましょう」におけるおしゃれで気取ったユーモアの世界は、実際に10代の彼に大きな影響を与えていた。

 しかしテレビの前の佐藤は感心だけでなく、やがてその世界に微かな違和感も覚える。

「僕が引っかかっていたのは、ザ・ピーナッツやクレイジー・キャッツなどの音楽の世界の人々が、こうした笑いをつくれるのに、専門家であるはずのお笑いタレントたちが、この水準にいっていないことだった」

「僕は、お笑いの世界の人間によるバラエティショーをつくりたい」

 その後フジテレビに入社した佐藤はディレクターとして、その信念を芸人だけで構成したバラエティ番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)に託すこととなる。

 同時代に視聴率争いをしていた「8時だョ!全員集合」(TBS)との大きな違いはそのまま、アイドルタレントの出演を売りにするか否かだった。

「『8時だョ!全員集合』に代表されるように、アイドルタレントは、バラエティ番組の飾りとしては、非常に重宝な存在だった。場を華やかにしてくれる。しかもアイドルタレントは、人気があるのだから、視聴率には貢献してくれる」

「ただし、番組はその人気に引っ張られ、視聴者層もそのタレントのファンで占められる。視聴率はとれるかもしれないが、人気が引っ張る番組にクリエイティビティは期待できない」

 実際に佐藤は最初、SMAPに笑いを教えてほしいという申し出もやんわり断っている。

 それもそのはず、「オレたちひょうきん族」を成功させた彼の熱意とノウハウは、当時まだ次世代のお笑いタレントに注がれたばかりである。

 それが「夢で逢えたら」であり、レギュラーであるダウンタウンとウッチャンナンチャンだった。

「夢で逢えたら」は2組のゴールデン進出という理想的な形で1991年の秋に放送終了が決まっていた。


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SMAPとそのファンの物語—あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど

乗田綾子

転校を繰り返し、不登校にもなってしまった。思い焦がれた上京は、失敗した。願ったとおりの現実を生きるのは、難しい。だけど――。小学校低学年から30歳に至るまで、とある女性の人生にずっと寄り添っていたのは、親でも彼氏でもなくアイドルだった...もっと読む

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marekingu #スマートニュース 約3年前 replyretweetfavorite

nkimshr0818 |小娘(乗田綾子) @drifter_2181 |SMAPとそのファンの物語――あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど ここの話はいつ聞いてもキツいものがありますね。 https://t.co/djTnPxHo05 約3年前 replyretweetfavorite

drifter_2181 「盤石のスタッフ陣を揃えテレビ界ではバラエティへ舵を切った 約3年前 replyretweetfavorite